今回は、最低でも十数年ぶりに第二部から読んでいるのだが、実に面白い。随所に人生の知恵が隠されている。まだ、それらをきちんと自分の文字として、まとめるには自分の筆力があまりにも足りないのだが、くすくす笑ったり、現代との接点のあまりの深さに鳥肌立ちながら、読んでいる。実によい読書体験だ。うれしい。
彼はその後、恋をし、老人の家を焼き、その人生を謳歌する。
その第2部は音楽のような旋律であり、一貫した何かを語りたいというよりは、人生というものの無常たるところを楽しく唄っているように見える。
さて、このファウストに家を焼かれたフィレモンという老人に、後の心理学者のユング博士は、自らの心の分身にその名前を授けた。
ファウストは間違いを犯す、間違いを犯さざるを得ない。
間違いを犯すこととは、生きることに他ならず、それは悪魔の嘲笑するところである。
彼がその間違いだらけの人生にそれでも美しいと言うのならば、賭けは悪魔の勝ちである。
冒頭で世界に絶望し、決してこの言葉を口にする筈のなかったファウスト博士が、終にその世界を素晴らしいと認めてしまう。
「とまれ。全て(あなたは)は美しい。」
この瞬間に、悪魔は賭けに勝利したにもかかわらず、神を裏切った筈のファウスト博士は、神の手助けで昇天する。
何という意味不明な最期なのか。
興味深いことを言えば、人生とは全て苦と説いていた仏陀は、死ぬ直前に自らの最期の食事をふるまった者を祝福しつつ、次のように言った。
「人生とは甘美なものだ!」
ファウストが何故神に祝福されつつ昇天するかは、この作品最期にある言葉、「永遠に女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ。」の謎を解き明かさなければ知ることができない。
「西洋と東洋は分けて考えることはできない」(ゲーテ)