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ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡 (光文社新書)

価格: ¥882
カテゴリ: 新書
ブランド: 光文社
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ウォーホルに対する私の長年の思い込みを正してくれた ★★★★☆
 著者は神戸大学大学院人文学研究科の准教授。前著『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む 』には大変感銘を受けました。

 ウォーホルの作品にはこれまでも様々な美術展・美術館で目にする機会がありましたが、本書にあたることで、彼の生涯からその作品に込められたメッセージまで、初めて概観することができました。

 一連のキャンベルスープ缶の絵のことを私は、工業製品に囲まれた現代社会の画一化された側面を衝いた辛口の文明批評的作品だとずっと思いこんでいました。
 しかし本書によればウォーホルは、同じ生活がもたらす安定感を好ましいものであると考えていたとのこと。スーパーで買ってくる保存食品はいつでも食べられるし、毎日同じ味がするから安心できる。ウォーホルは大金持ちも極貧民でもコカ・コーラを等しく飲めるアメリカの素晴らしさを称揚していたというのです。
 さらにいえば、ウォーホルは芸術家の説教めいた思想性に背を向けたタイプであるから、キャンベルスープ缶のシリーズにも単調でつまらない生活の繰り返しといった批判性はないとのことです。
 ウォーホルに対する長年の思い込みをぬぐうことができて、今後は彼の作品世界が今までと異なって見えてくる気がします。

 掲載されている図版がほとんどすべてサムネール・サイズで、ウォーホルの作品世界をつぶさに見るには極端に小さく、苛立ちを覚えながら頁を繰りました。
 しかし巻末の著者追記によれば、「図版の使用をめぐって著作権者のウォーホル財団側と折り合いがつか」なかったとのこと。著者自身、21点ものカラー口絵を予定して書籍作りを進めていたのに、その出版がかなわなかったことを大変残念に考えているようです。
 私もそのことは大変惜しいことだと思います。せいぜいインターネット上でウォーホルの作品を参照しながら本書を読むことをお勧めします。
悼む人だったウォーホルの芸術を美術史の中に位置づけた好著 ★★★★☆
本書はウォーホルの「ゴシップを集めた評伝」ではなく、革新性の本質を説いた作品論。作品に作者の個性の痕跡を残すのを拒否しつつ、機械的な制作を始める前にしていた緻密な計算。写真の選択、トリミング、カンヴァスの組み合わせ、あえて地のまま残したカンヴァスの空白等。如何にクールであろうとしても平板な線と色彩の中に彼の偉大な創作力が窺える。その神話を作ったキャンベル・スープ、マリリン、「死と惨禍」シリーズ等60年代の作品を中心にそれらが作られた時代背景と美術史的な位置づけが述べられる。宗教画、ヴァニタスや誹謗画の系譜に連なるとの指摘は新鮮。それにしてもほとんどの作品に死の影が見えることに驚く。まるで悼む人だ。

ファクトリーがオフィスとなった70〜80年代の作品で頁数を割いているのは毛沢東と最後の晩餐のみ。60年代作品と比べて以後の作品はどのような点で劣るのか、説明がもう少し欲しい。

彼の作品は色彩が重要であるにもかかわらず、図版がモノクロで縮小印刷なのは残念。著作権法の許容する引用の限界なのだろう。彼の画集をめくりながら読みたい本だ。
20世紀最大の芸術家を深く分かりやすく心に響かせた傑作 ★★★★★
この一冊により、ウォーホルに対する考え方が変わった。読み終えた後の心が震えた。爽快感と喪失感が渾然となった、不思議な感覚を覚える。それは、キャンベルスープ、ミッキーマウスやマリリンなどのイメージを用いた誰もが一度は見たことがあるような作品と映画化されたそのセンセーショナルな人生で、20世紀でもっとも人々の関心をよび、だが一方で謎の多いウォーホルの芸術自体にもに言えることのように思えるが、しかし、それとともに著者がウォーホル芸術のポップで表面的明るさの裏側に潜む死・暴力など人間の根源にある精神性を汲み取り、それを噛み砕いて読者に分かりやすくしっかりと伝えてくれる所以だろう。確かに、やむ終えない事情によりカラー図版や挿絵が少ないかもしれないが、内容はそれを補って余りあるものとなっている。ウォーホルのみならず、戦後アメリカ、そして「表現すること」とは何なのかを、改めて考えさせられる、決して手に取ったことを後悔させない、至極の一作であった。
大量生産、メディア、無個性…20世紀の眼で写した「死」の姿 ★★★★☆
本の帯にもあるが、本書は「生と死」「聖と俗」という人類の普遍的なテーマでウォーホル作品を論じた。スープ缶、何十枚も並ぶマリリンモンロー…一見、意味不明でいかにも「現代美術」なウォーホル作品。本人のポップな言動がまつり上げられる一方で、作品の意味合いは現代美術が分かる人しか分からなさそうな取っつきにくさがあったが、本書の明解な切り口により、大量消費、報道という20世紀を象徴するアメリカ資本主義の感性で描き出した「生死」「聖俗」のイメージを、美術に疎い人も感じることができる。

キャンベルスープなど大量生産の商品デザインに美を見いだし、死んだ人の顔や死んだ場面をパターンで反復させることで死への恐怖を増大させる。指名手配犯を万博パビリオンの壁面いっぱいに展示しようという発想は恐れ入るが、近代美術が失った、肖像画の負の効果を示す「誹謗画」であったという著者の解釈も深みがある。そして、壁紙のようなプレスリーの連続パターン、投身自殺や無人の電気椅子、著者の解釈と共に眺めていくウォーホル芸術も実に興味深い。写真をシルクスクリーンで大量に印刷するという、個性というか芸術要素皆無な制作方法にほとばしるようなメッセージを押し込んだウォーホルが20世紀を代表する芸術家と呼ばれる理由が少し分かったような気がした。

本書の巻末にもあるが、著作権管理者と折り合いが付かなかったため、ウォーホルを特徴付けるカラフルさを表現できるカラー写真ではなく、小さいモノ写真になったのは残念。しかし、脱稿してから丸一年、最善を尽くした故の結果でもあり、カラーではないからと言って文章の価値が損なわれるものではない。レベルを落とさず、かつわかりやすく論じた優れた美術論である。