悪夢的イメージの錯綜
★★★★☆
「第一歌」から「第六歌」まで、悪夢的コラージュのオンパレードである。
はるか昔、寺山修司が戯曲にしようとしていた作品でもある。こんなことを書くのはおこがましいが、寺山の力量を持ってしてでも、完全戯曲化は無謀だったのではないだろうか。
アナーキーなフランス文芸作家といえば、とっさに思い浮かぶのが、ルイ・フェルディナン・セリーヌである。しかしイジドールとセリーヌの違いは、セリーヌは小説のストーリーに重点を置かず、アナーキーな文体を前面に出して、読者を惑わせるということ。さて、イジドールだが、ただ小難しい文体を羅列するのではなく、「歌」にそれぞれ、意味があり、地に足がついている。にもかかわらず、アナーキーで、悪夢的だ。
この小説(詩?)に何か意味を求めるのはお門違いというものだ。イジドールはただ、読者をけむにまいて、小難しい文章を並べることで、権威ある文壇からは評価されたかったわけではあるまい。さっきも書いたが、アナーキーに見えて、地にはしっかり足がついているのである。
初めてフランス「象徴派」文芸に触れるという方には、あまりお勧めできない。ボードレールやランボー、ヴェルレーヌ、マラルメといった、「比較的理解しやすい」作品を読んでおくといいかもしれない。
話を戻そう。イジドール・デュカス(ロートレアモン伯爵)は、本書を最後に、本を書かなかった。もっと長生きして、「象徴派」の重鎮になることだってできたかもしれないのに。
なお、この文庫には、「マルドロールの歌」の他に、「ポエジー」が収録されている。文字通り「ロートレアモン全集」なのだ。