もっと書いてくれ!
★★★★☆
何事も最初に始めた人は偉大だ。会社でも、創業者は必ず立派であろうが(少なくともどこか立派なところがあろう)、2代目以降が立派などというのは滅多にない(大企業では、岡山の旧倉敷紡績くらいだろう! 中小企業は、それでもいくらかあるだろうが、決して多いというわけでもあるまい)。
宇野功芳はニッポンで最初にブルックナー作品の真価を、その「聴き方」を世に知らしめた音楽批評家だ。吉田秀和は渡欧したとき、クナッパーツブッシュのブルックナー第7を聴きながら眠っていたのだ(それを率直に吐露する吉田はやっぱり偉い)。
1930年生まれの宇野こそが、ブルックナーの聴き方を教えてくれたのだ。
今でこそ多くの批評家がブルックナーを論じる。しかし、宇野がいなければ今日のブルックナー理解はなかったかもしれない。朝比奈隆がいなければ、ではない。宇野功芳がいなければだ。このことはおそらく、いくら強調しても、し過ぎることはないだろう。
本書は最近書き下ろし本を書かなくなったと思しき宇野の、語り下ろしと雑誌連載をまとめたものだ。同い年の石井宏が活発に書き下ろしているのに、誠に残念なことである。指揮活動が忙しいのだろうか。宇野には現代の疲弊したクラシック音楽業界への多くの提言ができるはずなのに。
最近では40歳台の批評家が結構露出しているが、まだまだ説得力がないように同じ年代の評者などには見える。宇野には、まだまだ老け込んで欲しくない。新しいブルックナー論、『ベートーヴェンの名盤』の最新版(かつて音楽之友社から出ていた物の)、ショスタコーヴィチ論・・・いずれも待望の企画ではなかろうか。
宇野に教わった名盤は、いまだに聴き続けているものが多い。古くならないものが多いのだ。シュナイト盤『聖母マリア』、マウエルスベルガー盤『十字架上のイエス7つのことば』(シュッツ)、アーベントロートの『合唱』、そして本書でのエリー・ナイ、ロベルト・ホルの『冬の旅』などなど。
しかも、名盤紹介に留まらない作品自体へ肉薄することば。それは常に演奏に即して、音楽理論がわからない者にも届くことばで書かれているのだ。
ショスタコーヴィチなどでは、宇野の推奨盤に首を傾げることもあるが、とにかくもっともっと書いて欲しい。反・宇野派もそう願っていることは、おそらく間違いないだろうから。