唯一、戦争中にかかれた戦争論
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この中に収められた毛沢東の戦争論的叙述は、戦争論の歴史の中で独自の位置を占める。
なんとなれば、多くの戦争論がリタイアした元軍人によって書かれているのに対して、毛沢東のそれは、ほとんどすべて戦争中に書かれているからである。
リタイアした元軍人は、己の経験と知識に照らして、正しい(と思われる)ことを、理路整然と書きさえすればよかった。
それに対して、戦争中の指導者は、分析上いかに自軍が不利に見えても、たとえ勝利が不可能に思えようが「我々は勝つ」と書かなければならなかったし、あるいは組織内の異論を「間違っている」と粉砕し、自軍をまとめあげなければならなかった。
つまるところ、元軍人の戦争論が「戦争の抽象」であったとすれば、毛沢東のそれは「戦争の継続」もしくは、もうひとつの「戦争」に他ならなかった。
それは理論であると同時に宣伝であり、分析であると同時に煽情であった。そして負ければすべてが御破算になる運命にあった。
数々の負けを「負けでない」形で回収し、最終的に勝利しなければ、これら著作は顧みられることはおろか、残ることさえなかっただろう。
だから毛沢東の戦争論には、ロジックとレトリックが交錯し、理論とハッタリが危うい形で結託している。