心理学的分析に見てみた
★★★★★
「死ぬべきか、生きるべきか、それが問題だ。」というように、
人間に内においてエロスとタナトスが対立し、戦っている。
そしてその戦況を自我は欲動として感じとり、超自我を睨みならがも行動に移そうとすると曳地康は思うのね。
でね
戦況がタナトス優勢である場合にはエゴイストと呼ばれる人間であっても、
自己破壊につながる事物を欲してしまうわけだと華麗に曳地康的解釈。
そして我々はまだまだ無知であるし、ある欲動に基づく行動が破壊的であるのか生産的であるのか判断しかねる場合に日々多々遭遇する。
つまり悪いとも良いともわからない欲動が超自我の監視を素通りし、素直に行動に移されているわけだ。
未だに、人間は大いに原始的であり、生きるべきか、死ぬべきか、
と無意識に問い続けている自他双方に対して危なっかしい存在なのだ。
人間は決してエゴイストになりきれるほど賢くない。
多分一度読み終わってから見て貰えればこのレビューの意味分かるよ
どんどん読めてしまいます
★★★★★
会話文の緊張と緩和が生み出す脈々としたリズムのおかげでどんどん読めてしまいます。登場人物らそれぞれの機知に富んだ言い回しもとても楽しい、というか名ぜりふ連発で気分がすっとしてしまうくらいです。
全体として読んでさっぱりとした印象を受けるのは、この作品は戯曲であり、ハムレットを主として登場人物たちはただひたすら自分の人生(役)を演戯しているかららしいです。他の純文学作品の主人公には心理的な一貫性があるのに、この作品のハムレットにはそれがないという所がミソです。しかしそれでいてドフトエフスキーなんかの小説と比べて「軽い」という訳ではなく、十分に「あつい」し気持ちが良い。
名作に触れる
★★★★☆
シェイクスピアといえばハムレット。
ハムレットといえばシェイクスピア。
この作品は殺人・復讐・狂気・報復といった人間の負の感情の表現が秀逸である。
時代を超えて語り継がれる本の手本だ。
値段や、本が薄くて持ち運びに便利なのもうれしい。
軽快で読みやすく舞台を連想させる翻訳。
★★★★★
福田恒存氏の翻訳文は、とても軽快で読みやすく舞台を連想させるものでした。あとがきに、シェイクスピアは、古典文学とする翻訳の仕方もあるけれども、戯曲翻訳として日本人が声を出して読める翻訳でなければならないというお考えが記されています。「TO BE OR NOT TO BE」にどのような日本語を付したか。ハムレットを読むときの楽しみでもあります。
血塗られた一族の話
★★★★★
亡きデンマークの国王の息子ハムレットは、父を失った悲しみと父の死後に
即居した彼の弟の現デンマーク王とそんな彼の后となった母への憎しみにく
れていたある夜、野で亡霊となった父と再会する。憎しみに満ちた表情をす
る父によって彼の死に胸のざわつきを覚えた彼だが、再びあった亡霊からあ
る重大な事実を知らされることとなる。父の死と叔父の即位の裏には、凶悪
な陰謀が仕組まれていたのだった…。
シェイクスピアの四大悲劇のひとつにして、彼の代名詞ともいえる『ハムレット』
は、エディプス的要素も取り入れられた、凄惨な復讐譚だ。しかしそんなストー
リーの中でも、ひときわ異彩を放っているのは、主人公ハムレットのその真意の
見えぬ多面的なキャラクターだ。時に義父や后をあきれされる道化を演じたかと
思えば、そんな義父によって仕向けられた自分を処刑させる名目の使いならば、
たとえ級友であったとしも逆に陥れ断頭台に送り込むほどの狡猾さと冷徹さをあ
わせもつ。
彼の真意はいったいなんなのか。彼に感情移入してことの顛末にはらはらしてい
る読者や観客にすればやきもきするところだが、それは明かされぬまま、劇は終
幕を迎える。おそらくことの真相は解題で福田常在が言うとおり、「既にハムレット
という一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最
初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無」なのだろう。彼
の復讐をはたさんがためにする演技こそがハムレットであって、彼の一挙手一投
足の推察すること自体が、彼の思うつぼなのかもしれない。
なおこの新潮文庫の八十八刷現在には、福田による「シェイクスピア演劇の演出」
というアドバイスのような小論と、彼の年譜の採録されていてありがたい。