エンデの本質はシニカルさにあるのだと
★★★★★
>何ら新しい点はない戯曲。
とのレビューもあるようですが、
文学ちゅうものは、科学とは違って
既に言い古されているものを
繰り返し繰り返し
語り直すことにその使命があるのだと思います。
人間性は
昔も今も基本的には変わらない。
さて、この物語ですが、
その核とするところは、
仏教の天国と地獄の長い箸の説話と
大変良く似ています。
終わり方が
大変破壊的で、
私はそこにエンデの本質を
見てしまいます。
「現実の変革のために現実の模写をする」
★★★☆☆
「秘密につつまれた被相続人の遺言状の開封のために、相続人たちが、未知の力を
いっぱいそなえた魔法の館に集まって、全員に共通の利益のために協力するのか、
それとも、ぞっとするようなやり方で破滅するのか、選択を迫られる。どんな決断をしても
結果が予測できないような、まったく不確実な状況で、相続人たちは、それまでの
習慣とは反対の、まったく新しい行動・態度を示さなければならない。が、そういうことは
できない。彼らはいつも通りの基本類型にしがみついたまま、最悪の結末を迎える」。
基本的には、上記のとおりの半ばネタバレを「はじめに」において筆者自身がして
くれているので、一読者である私としては、特にこれ以上、付け加えるべきものを
持たない。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4・17)。……って、誰も「悔い改め」なんて
しやしない。それでもなお、人はただ語る他ない。
可もなく、不可もなく。
主題においても、技法においても、何ら新しい点はない戯曲。
遺産相続において最大の利益を得る方法
★★★★★
莫大な遺産をめぐって、登場人物たちによる様々な戦略が交錯する。そこにはすべてに打ち勝つ戦略は存在しない。それどころか閉鎖された逃げ場のない空間で生じるのは破滅へと向かうはてしない消耗ばかりだ。最適解は「こういう場所は最初から避ける(遺産などに期待しない人生を送る)ということなのかもしれない。