折口信夫の感性が捉えた日本人の源流
★★★★★
折口信夫という人を書いた本を初めて手にしました。
中沢新一さんがずっと傾倒していた奇跡の感性の持ち主。
中沢さんが描きたいことがとてもよく分かりました。
そして古代の日本人と太い臍の緒でつながっているような折口さんの感性は
「類化性能」が異常に発達していると自覚しています。
言葉を駆使するようになった奈良時代ごろから
もうほとんどの人が「別化性能」を発達させて
既に古代の人類の感覚が分からなくなっているといいます。
奈良時代から既に1300年も過ぎ
類化性能が化石のようになった日本人たちの中で
芸能などの中にかすかに残されている古代人の価値体系。
今 この時代だからこそ折口さんのような類化性能からの物事の捉え方が
日本人に必要なのではないかと思いました。
例えば 意図的に合理的に作り変えられた神道や仏教の体系・・
太古の脳が「なんだかしっくりしない」と感じているはずです。
「まれびと」とは何か理解できた。
★★★★☆
折口信夫は、縄文時代よりも遠く新石器時代までも視野に入れた日本人の宗教感を、沖縄など南の島めぐりを情熱を持って調査した結果、「まれびと」という異世界との仲介者(聖霊)を通して日本人の宗教、文化的思考が紡ぎだされたとの学説を提示した。
一万数千年前に、遠く南の島から日本列島にたどり着いた人々のアミニズムとも考えられる記憶が、このような「まれびと」信仰儀式(沖縄、長野、愛知などの古い祭りなど)を、入念に観察して自分の考えに確信を持ったのである。
「まれびと」は、上のほうから下りてくるのではなく、遠く南の海の彼方からやってくると説いているのは、現代の日本人宗教観にも少なからず残っているような気がする。
古代人のDNAを、何千年も受け繋いできた我々現代人も、たまに海を眺めた時などに、言葉では説明できない不思議な懐かしさ?を感じる時があるのは、このDNAのせいかも知れない。
未来人は、古代人?
★★★★☆
若い人が手に取るのかは、ビミョウだが、ちくまの若者向け新書・プリマーシリーズに登場した本書。
民俗学者・折口信夫の思想への入門書だが、著者・中沢新一の名前で手に取る人も多いかもしれない。
古代人のこころに直接的に触れ、世界的普遍性を見いだそうとする折口、そこに未来への希望を見いだそうとする中沢。
本書は、単なる入門書ではなく、タイトルに込められているように、現代社会における閉塞状況を打破する方向性を問おうとする試みだとも思う。
興味深かったのは、折口信夫は、大阪のダウンタウン出身だったということ。
都市生活のもたらす物足りなさを、先取りしていたんだろうな。
なぜ、これだけ科学的知識が普及した世の中なのに、神道やアニミズム、スピリチュアルなものを希求せずにはいられない人が多いんだろう?
いつかは、太陽だって死んでしまう。ゆえに、人類も地球上の生命も、ピークがいつかは分からないが、死に向かいつつあるには違いない。
でも、知識を忘却してでも、時には、円環的時間を思い起こし、自然や生命のもたらす神秘的な感覚に耳を澄ませてみたいという気持は、とてもよく理解できる。もしかすると、「終わり」を、わたしたちは、近くに想像しすぎているのかもしれない。
果たして、未来人は、わたしたちとは異なった、どのような豊かさを享受しているんだろう?
あるいは、(よりいっそうの?)なにがしかの貧困を甘受することになるんだろうか?
未来人が、こっちにおいでと、スマイリーに手招きしている気に、ふと、なる。
折口「古代学」への入門書
★★★★☆
わが国における不世出の独創的学者・思想家の一人である折口信夫の学問と思想への入門書。青少年向けの新書ということで叙述は平易だが、内容は濃い。読者は本書を通じ、神観念の原型として文学や芸能、宗教の発祥点とされる有名な「まれびと」概念や(譬えは良くないが)いわば暗黒物質のように神々の世界を満たす霊性としての「ムスビ」概念など、彼の知的営為におけるキー・ワードについて一定の理解を得ることができる。(含羞に満ちた彼の姿をとらえた数多くのショットをはじめとする豊富な写真も、理解を助ける。)但し、本書で語られるのはあくまでも彼の学問や思想面に限定されており、藤井春洋との関係など、彼の学問や思想と不即不離の関係にあるはずの人間的側面についての叙述は省略されている。この点に関心のある読者は、別書にあたった方がよい。
対称性人類学のグランド・ファーザー折口信夫
★★★★★
中沢新一さんは折口信夫が《人間の思考能力を、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えている。ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能》(p.18)であると考えていたとします。このモチーフは『カイエ・ソバージュ』で明らかにされ、『芸術人類学』などで展開されている対称性人類学そのもの。
そして折口信夫は古代日本人の考えていた神概念は《増えたり減ったりする》タマ、つまり精霊であるとしていますが、これも『三位一体モデル TRINITY』で展開されていたモチーフ(p.22)。こうしたふたつの方向性の源に折口信夫がいて、折口が降りようとしていたのは古代日本というよりも、新石器時代の人間というか、それこそ「野生の思想」なんでしょう、と。敗戦後、折口信夫が「神道の宗教化」を考えていた先には、吉本隆明さんのアフリカ的段階の概念や、アメリカインディアンの「グレート・スピリット」が見えていたとして、重視していた「ムスビ」の神は自由な精霊そのものではないか、ということが本の結びになっています。