1巻はゲドという少年が挫折しながらそれを克服して成長する物語とすれば、2巻はアルハ(テナー)という少女が自立し、自分を確立する物語です。
ル=グィンは女性作家で、心理描写においてはおよそSF作家離れした深みを持っています。1巻に比べると2巻の舞台はスタティックで、アルハの内面描写(心理的葛藤)に多くの時間が割かれますが、これは、実は多くの少女が成長において共通して体験する、「自立への葛藤」を語ったものであると思われます。
アルハの場合、ゲドとの出会いという事件において、「闇」に支配された幼女時代から思春期を通り過ぎて一個の女性までの「羽化」が一気に進行し、巻頭では「客体」であった女の子が一気に「主体」となり、ゲドも含めた2人の命をかけて、自我の確立と自立のための戦いが爆発し、一気呵成に進行していきます。
しかし、テナーの自立への葛藤は、2巻のラスト手前で、もう1ひねり、複雑な展開をします。これはもうそれだから女の子なんだなあ(男は単純だ(^^;))ということで、必見です。
女の子が読めば、物語の暗喩の数々が、親や周囲の束縛から巣立っていく時の自らの不安や葛藤に重なり、思わず同化してしまうだろうと思います。
一作目でゲドの敵は「影」、そして本作では名がない者、姿が見えない者という事になります。この著作に対する私の意見を述べさせてもらえば、今回のこの敵は主人公のアルハが継承した「伝統」を象徴しているのだと思います(もちろんその中にも現代に対する風刺が含まれているとは思いますが)。伝統を受け継ぐとは前の人の良い事、悪い事すべてを継承する事と同義であり、知らぬ間に背負い込んでいるものと考えたからです。世の中の伝統や、風潮に逆らうことは、アルハがテナーへと変わる時に味わったような苦しみを体験することのように思えます。そのような時、私たちの心の中にゲドのような存在がいてくれる事はとても励みになるのではないでしょうか。
「水をくれたのは人の手の力」「彼らはこの場所そのもの」・・・これらの台詞には色々考えさせられる事があります。前半部分ではいつゲドが登場するのか待ちくたびれましたが、後半部分で、時間をかけたその意味がわかるような気がしました。伝統や風潮は時として、人から、人としてあるべき考えや感情を奪ってしまうことがあるように思え、それらが不動なものであるならば、自分から動き出せとこの物語は言っているのではないでしょうか。簡単な事ではないですが、単純な事です。良い事は受け入れ、悪い事は変えてゆけばよいのです。
やはり、ル・グィン只者ではありません・・・