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ウィトゲンシュタイン全集 8 哲学探究

価格: ¥4,725
カテゴリ: 単行本
ブランド: 大修館書店
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「哲学すること」を教えてくれる名著。 ★★★★☆
有名な哲学者の遺稿集。学説史的には、言語ゲーム理論、日常言語学派への起源となる名著であり、主体哲学(意識哲学)からの脱却の端緒となる名著と巷間評価される。哲学のみならず社会科学一般への圧倒的な影響力も示している。一方、「トラクタークス」で論理主義の極北を示しウィーン学団、科学主義哲学者らのヒーローでもあった著者が、本書で全くその立場に見切りをつけたかのような立場、叙述で周囲を驚かせる。評価の分かれ目で、徹底した論理主義者は、著者の頽落形態を本書に見て、元来の嫌悪感を露骨にする。一方、反論理主義、意識哲学の系統、マルクス系の思想家、批評家はこぞって本書を歓迎し(本書のテーマは意識哲学やマルクス系の思想に反して、主体の解消のはずなのだが)、本書が分からない論理主義者を馬鹿呼ばわりしている。一読すると、マルクス等の「ドイツイデオロギー」にある、天才特有の未刊のメモが持つ独特の輝きがあって、何か「本質」を射すような鋭さを感じるとともに、未刊のメモにありがちな不明瞭さ、荒削りさが、却って読者を深遠な世界へ引きずり込む。自分としては、世評に違わぬ凄さを感じながらも、多くの批判者の言い分も分かるような気がする。或る命題を理解するとは別な命題に置き換えるという意味だが、或る音楽のテーマが別の音楽には置き換えられないのと同様に、無理なことだ、という件などに象徴されるような世間受けする言い回しは、私は嫌いだ。多くのヴィトゲンシュタインへの賛美や評価がこの手のアフォリズムにあるのは頂けない。「思想好み」の向きは、しばしば「本質論」を好み、発生論的な説明を蔑視して、この手の言い分を歓迎するが、大いに疑問だ。それはこの手の脇の堅そうにみえる「ほんとう」に気を委ねるところから来る頽廃に思える。愚直な経験や実験の研究はしばしばこの手の議論を屁理屈だったことに叩き落す。でも、本書は多くを示唆する名著だと思う。なにより簡潔で明快な言葉と多くの読書が無くても「哲学する」事とは何かを教えてくれる。規則そのものを実体化してそれに「従う」という解釈を否定し、規則とは適用の局面にのみ、解釈されたものとして現れ、規則に叛くと称する際に「規則の把握の仕方」を現す、という言明にいたる分析の過程などは誰しも触発されると思う。現象学がideationを志向性の作用の中に見出そうとして十分でなかった件がここで確かなことに近づいているような気がする。言語とは古都市のようなものだ、とはこれまた示唆的で、兎に角危険なアフォリズムに溢れている。
哲学を見る目が変わる ★★★★★
 哲学書と言えば、ドイツ観念論を頂点とした難解なものを思い浮かべる人が多いだろう。だが、本書は全く違う。そこには難解な哲学用語も、意味不明で理解不能な論理も全くない。すべては明快だ。当たり前のことしか書かれていないと感じる読者もいるだろう。本当に本書は20世紀を代表する哲学書なのかと訝しく思う人もいるだろう。

 しかし、実験や観察、世論調査などの実証的な方法を持たない哲学は、当たり前のことを愚犊に粘り強く考えていくしかない。本書はなによりもそのことを教えてくれる。本書を読み進んでいけば、私たちが日頃無意識のうちに信じていることの多くが、いかに疑わしいかが分かってくる。

 ただし、本書はウィトゲンシュタインの遺稿を死後弟子達が纏めたもので完成された著作ではない。そのため、ウィトゲンシュタイが言いたかったことが何かは明確ではなく、難解な用語と論理が充満した普通の哲学書とは別に意味での難解さがある。そのことは覚悟して読んだ方がよい。

 とはいえ、本書には、哲学の専門家でないと分からないような議論は一つもない。誰でも知的好奇心のある読者なら読み進むことができる。そして、読み進むにつれて、哲学とはこういう世界だったのかと目から鱗が落ちるだろう。
 哲学など自分には無縁だと思い込んでいる方に是非読んで欲しい1冊だ。

なぜ犬は痛がっているふりができないか? 正直すぎるのか? ★★★★★
「なぜ犬は痛がっているふりができないか? 正直すぎるのか?」(250)--まるでどこかの漫才のネタのように思われるかもしれませんが、れっきとした哲学書の中の文章です。しかもハイデガーとともに20世紀を代表するといわれるウィトゲンシュタインの、後期の代表作「哲学探究」の中の。

「論考」をお読みの方にはご納得いただけると思いますが、ウィトゲンシュタインの言葉は大変魅力的です。表現は、自ら「論考」で求めていたように、明快です。ハイデガーのどこか神秘めかした謎めいた言葉づかいとは正反対ですが、でもその単純明快な言葉が大変な奥行きや深さ、広がりを感じさせます。哲学書を読む楽しみのひとつは、当たり前の(と思い込んでいた)ことに驚く、という点にあると思いますが、ウィトゲンシュタインほど当たり前のことに驚いている人も少ないと思います。

本書の中には過去の偉大な哲学者の名前はほとんど出てきませんし、難しい専門用語も余りつかわれていません。ですから、専門的にはいろいろな指摘が可能なのでしょうが、ただの素人として接しても全く違和感がありません。考えること、世界のありように興味がある活字好きの人間なら、なんの準備をしなくても彼の哲学の中にはいっていくことができます(--哲学書ですから、理解しやすい、とまでは言いませんが)。

「メロディを思い出す。でも、一瞬に<全部>を念頭に思い浮かべた筈はない。はじめから終わりまで心の耳で聴いた筈がない。でも、私はそれを<全部>知っていると確信している」(184)

「手が痛いとき、私の手が痛いのか、私が<手が痛い>と思っているのか? 人は手を慰めないで、痛がっている人を慰める。相手の眼を見る」(286)

ウィトゲンシュタインをもう少し読んでみたいという方には、全集9の「確実性の問題・断片」もお勧めです。