しかし、実験や観察、世論調査などの実証的な方法を持たない哲学は、当たり前のことを愚犊に粘り強く考えていくしかない。本書はなによりもそのことを教えてくれる。本書を読み進んでいけば、私たちが日頃無意識のうちに信じていることの多くが、いかに疑わしいかが分かってくる。
ただし、本書はウィトゲンシュタインの遺稿を死後弟子達が纏めたもので完成された著作ではない。そのため、ウィトゲンシュタイが言いたかったことが何かは明確ではなく、難解な用語と論理が充満した普通の哲学書とは別に意味での難解さがある。そのことは覚悟して読んだ方がよい。
とはいえ、本書には、哲学の専門家でないと分からないような議論は一つもない。誰でも知的好奇心のある読者なら読み進むことができる。そして、読み進むにつれて、哲学とはこういう世界だったのかと目から鱗が落ちるだろう。
哲学など自分には無縁だと思い込んでいる方に是非読んで欲しい1冊だ。
「論考」をお読みの方にはご納得いただけると思いますが、ウィトゲンシュタインの言葉は大変魅力的です。表現は、自ら「論考」で求めていたように、明快です。ハイデガーのどこか神秘めかした謎めいた言葉づかいとは正反対ですが、でもその単純明快な言葉が大変な奥行きや深さ、広がりを感じさせます。哲学書を読む楽しみのひとつは、当たり前の(と思い込んでいた)ことに驚く、という点にあると思いますが、ウィトゲンシュタインほど当たり前のことに驚いている人も少ないと思います。
本書の中には過去の偉大な哲学者の名前はほとんど出てきませんし、難しい専門用語も余りつかわれていません。ですから、専門的にはいろいろな指摘が可能なのでしょうが、ただの素人として接しても全く違和感がありません。考えること、世界のありように興味がある活字好きの人間なら、なんの準備をしなくても彼の哲学の中にはいっていくことができます(--哲学書ですから、理解しやすい、とまでは言いませんが)。
「メロディを思い出す。でも、一瞬に<全部>を念頭に思い浮かべた筈はない。はじめから終わりまで心の耳で聴いた筈がない。でも、私はそれを<全部>知っていると確信している」(184)
「手が痛いとき、私の手が痛いのか、私が<手が痛い>と思っているのか? 人は手を慰めないで、痛がっている人を慰める。相手の眼を見る」(286)
ウィトゲンシュタインをもう少し読んでみたいという方には、全集9の「確実性の問題・断片」もお勧めです。