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ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951 (講談社現代新書)

価格: ¥987
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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ウィトゲンシュタイン、20世紀最大の哲学者 ★★★★★
哲学の根本問題に挑み続けた孤高の哲学者、ウィトゲンシュタインの思想をコンパクトに解説する本。
前期と後期を上手く橋渡しして、最後に『確実性』のところまでまとめ抜いている。
新書としては400pほどと異例の厚さとなっているが、中身が多いだけに仕方がないだろう。

ウィトゲンシュタインはいわば「哲学の根本問題」に挑み続けた哲学者だ。
何が正しいのか、我々は言語を発するときに何をしているのか、何が確実なのか、私とは何か等々。
前期と後期で出した答えは全く違うが、哲学というものに一生かけてもっとも誠実に向き合った人間だと言えよう。
ある意味で、20世紀最大の哲学者だとも言える。

すべての哲学の問題が、彼の取り組んだ問題から出てくる。
その思想の片鱗をわかるためにも、本書はいい手引きとなってくれるだろう。
400pの厚さに怖気づかずに読んでほしい
しっかりしているし新書だし ★★☆☆☆
しっかりしているし、新書だし、いいかと思うのだが、新書であろうが単行本であろうが、面白さを問題にするなら、
あまり高得点はあげられない、という感じ。
とくに、「これがヴィトゲンシュタインの実像だ」とか、遺稿2万枚、とか、いかにも大げさな前振りからすると、
内容の貧弱さにがっくりくる。
ただ、永井さんのものなどよりはよほどましで、ヴィトゲンシュタインを読むときに手元にあって毒になるものでは
ないと思う。特に、今までそれほど論じられていなかった部分について、いくらか分かって来るところもある。
ウィトゲンシュタインの一生の思考の成果を冷静に観察 ★★★★★
ウィトゲンシュタインの一生の思考の成果を冷静に観察したものであると感じた。とかく専門家は自分の専門に対しては主観が入りやすく、自分の著書の中で先行理論と自らの考察を主観的に混同することも多いが、この著者はウィトゲンシュタインの文献に即して記述しながらも、自らの考察を客観的に織り交ぜながら議論を進めていると思う。人間が一生かけて考えぬいたことを、このように時代別・思考の違いに即してに解体し、最終的に至った思考結果を示す書物がもっと増えてほしいものである。新書でこのような書物に出会えることは幸せなことであると思う。
「学問に近道なし」 by本居宣長 ★★★☆☆
新書で値段も手頃だし、分量はあるし、何たってタイトルが「ウィトゲンシュタインはこう考えた」ですから、素人はとりあえず、がんばってこれ一冊読めば大体のことは分かるような気になるかもしれませんが、それは間違いです。タイトルに新書特有のあざとさを感じるのは私だけでしょうか?
この本読むのも意外と大変ですし、それくらいの労力を使うぐらいでしたら、ウィトゲンシュタイン自身の著作の翻訳をちょっと読んで、かんたんな入門書や伝記を読んだほうが、大体のイメージはつかめると思います。もっとも本気でやるのでしたら、原書から入って、関連書籍、論文等に当たっていくしかないでしょう。もっともウィトゲンシュタインの専門家になるつもりがなければ、常識的なところをおさえておけば、それほど気にしなくてもいいと思います。変にウィトゲンシュタインにこだわると最新の議論についていけなくなるかもしれません。
ウィトゲンシュタイン個人に文献学的、訓詁学的な興味がある人にはいいかもしれません。
それにしても400ページを越える新書ってなんなんでしょう?ハードカバーだったら3000円を越えることを考えると、お得なのかもしれません。
ウィトゲンシュタインも「刹那滅の哲学」に肉迫していた ★★★★★
本書は、ウィトゲンシュタイン(以下、LW)の思考過程を解き明かすことを主眼としている。膨大な遺稿を読み解いた鬼界氏の種明かしを逐一確認することはできないが、論旨明快な本書を読み進む内に新たな謎が私の心に生まれた。それは、LWが論旨明瞭な論文を出版せず、後世の謎解きが必要な『論考』を敢えて出版したのは何故か?という疑問である。私には、まるで、チコブラーエの詳細な天体観測をもとにケプラーが「天体の法則」を導いたように、LWの詳細な遺稿をもとに鬼界氏が「自らが生きるための哲学的思考」の実現方法を導いたように読めるからである。『論考』は、「呼び水」だったのであろうか?
本書で視線が釘付けになった部分がある。それは、“独我性を言葉で捉えようという『考察』期の試みは、常に逃げ去る現在の体験を記述する試みという形を取ることになる。『考察』の随所で言及される「現象学的言語」、「第一次言語」とはこの試みの事に他ならない。1929年の早い時期、LWは主としてMS105において瞬間的現在を記述するための様々な試みを行っている。しかし、LWは次第にこの試みに懐疑的になってゆく。(p.218)”という文章である。これによると、LWはダルマキールティの「刹那滅の哲学」に肉迫していたように思われる。
しかし、“ここで、「世界の本質」と言われているのは独我論とその最終的帰結である唯現論(=私の現在の体験のみが実在するという思考)に他ならない。それらは世界の本質であるがゆえに語り得ないのである。(p.221)”として、LWは『現象学的言語』を否定してしまう。残念なことである。