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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,260
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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[論考」を「探求」として読む本 ★★★★★
ヴィトゲンシュタインの「論考」は難しい本である。ヴィトゲンシュタインの本であるということもあるが、独我論の立場で一種独特の言い回しがあり、通常の読者では目眩がしてくるようなところがあり、最後まで読み解けないからである。特に、現象学経由で「言語ゲーム」以降のヴィトゲンシュタインから入ってきた場合は尚更である。野矢氏の「「論理哲学論考」を読む」という本は独我論者の本を非独我論者が翻訳した本として、私の知る限り、多分、唯一のものであろう。野矢氏の読み解きによれば、「論考」は「世界→事実の総体→対象への解明→要素命題の配列と操作→独我論的論理空間」として理解できる。従って、事実に基づかない「信念」や[倫理」や「価値」を認めない立場としてヴィトゲンシュタインを解釈する。(但し、要素命題の独立性については間違いとして、「修正・論考」を再構成してみせる。)ここまでで、十分に星5つの価値はある。
ヴィトゲンシュタインが何故「論考」後の沈黙から、「探求」を再開したのかは不明であるが、私には、人間が独我論的論理空間にないナンセンスな命題を信じることができ、更には、いとも易々と言語交通(コミュニケーション)を成し遂げている事実の不思議に気がついたためではないかと考えている。そして、それは「文法」という言語ゲーム規則に沿ったものであると考えられる。後書きで野矢氏が述べたように、「論考」により構成された純粋な「世界」は「探求」の「文法」の中で初めて位置づけられる。ヴィトゲンシュタインが「論考」の思考を経てきたからこそ、ナンセンス命題も含む「文法」に気がついたのだと考えるのである。「探求」は美しい結晶ではないが、読めば個々の議論は分かってくる。「論考」を「探求」レベルまで読み解いていただいたことに感謝である。最後に、蛇足ながら、できれば、独我論者の永井均氏の著作も翻訳してもらえないであろうか。
非常に明快な論考の解説書 ★★★★★
『論考』についてのこれほど明快な本はなかった。
あまりによく解るので、不安になることもある。『論考』は難解さで知られおり、Fregeは論考を読んで理解できないと告白し、Russellは『論考』を読んで感銘を受けて序文を書いたが、WittgensteinはRussellの理解は正しくないと言っている。RussellやFregeのような論理学史上最高の頭脳たちが理解できなかったことを私がこれほどはっきりわかるのだろうか。
野矢氏によれば、内的形式、論理形式、対象の内的性質、対象の形式、対象の論理形式などの用語は全て同じものである。こう断言してもらうと確かに理解しやすい。しかしWittgensteinは異常なくらいに言語を吟味したはずなので、言い切って良いのかどうか。
Russellのパラドックスの解決に関する部分は面白かったが、命題の定義域と値域を明確にすることでパラドックスを解消するという方法はあまりにナイーブで、Wittgensteinがこのように考えたとは思いにくい。この方法は数学を専門とする人ならすぐに理解できるから、Russellが反論の文章を書いているはずである。
また野矢氏はWittgensteinにとっての神の問題の重要さを書いていない。Wittgensteinにとっては、宗教と神の問題は一生を通じて重くのしかかっていた。そして、『論考』のテーマには深く宗教が関わっている。野矢氏の関心は宗教にはないとしても、この点は見過ごしにできない。
明快な解説に喝采を送りながらも、このような疑問に囚われつつ読んだ。そうして読んでいるうちに、『論考』の理解においては、まず野矢氏のようにある程度割り切って明快さを求め、大枠をつかんでから細部をもっと精密に読むという方法が一番優れているかもしれないと考えるようになった。このことで論考は手の届く書物となるのだから。
ただの解説本ではない ★★★★★
 ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読む助けになってくれる本ですが、ただの解説本ではありません。著者独自の解釈をわかりやすく説明してくれています。
 原書の『論理哲学論考』を読んだことがありますが、後期の『哲学探究』なども読みたくなりました。
 ところどころ、反論したくなる箇所がありました。しかし、哲学の本を読んでいて反論したくなるのは、そこで扱われている問題が魅力的なものだからにほかならないと思います。
野矢茂樹の教師としての姿が明確に打ち出されています。 ★★☆☆☆
8章まで読んだ感想です。
無理に「論理」で「未来」を構築しようとしている印象を持ちました。
(ここでいう「論理」はいわゆる論理、A∧Bとか、A∨Bといったもの)
「論理」は絶対であって、万人に共通するものという考えが
支配しているようです。
そして、「論理」の真偽を問う方向に読解が進みます。
このような「論理」を尊重した読解の結果、
「強いア・プリオリ」「弱いア・プリオリ」といった
『論理哲学論考』にない概念が登場してきます。
そして、「論理」的ゆえ、妙に頭が疲れます。

「1 世界は成立していることがらの総体である。」
「3 事実の論理像が思考である。」
「4 思考とは有意味な命題である。」
「5・123 神がある命題を真とする世界を創造するならば、同時に神はまた、その命題から帰結するすべての命題が真となる世界をも創造するのである。…」
といった『論考』のテーゼからすると、
論理は現在のことがらに対して何事かを語るための操作であり、
今、現在ある世界についての「歴史」を語るための操作であるように思われます。

したがって、いわゆる「論理」については、
「7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」
と言えると思います。

と、ここまでは本書を叩いておいて、
ここからは持ち上げる方向で…

7章までの部分は非常に『論考』が整理されていて、
入門書としてはよいものであると考えられます。

また、時折面白い表現があって、ちょっと笑ってしまいました。
たとえば、「である」調の文章の中に、突然、
「ここまで、よろしいだろうか。」(p.136)
という文章が出てきます。
このあたりに、教師としての野矢茂樹の姿がはっきりと表れていて、
彼の「教えたい」という意欲が明確に伝わってきます。
時を忘れて読み込んでしまいました ★★★★★
「論考」の目的は、思考の限界を確定させることだと冒頭で著者は述べています。
なんて魅力的なテーマなのだろうと、その部分を読んだとき多大な期待感を抱いていたのですが、その期待を超える内容が本書には詰め込まれていました!!ウィトゲンシュタインが提示する様々な概念や解釈に感動すると同時に、それに対して所々抱く疑問をすぐ解消してくれる、痒いところに手が届くような野矢先生の解説にもまた大満足です☆

ただ、論理学の素養が皆無である私としては、第四章「これでラッセルのパラドクスは解決する」と、第六章「命題の構成可能性と無限」は理解不能で読み飛ばしてしまったのですが、そうだとしても本書に対する全体的な理解にはほとんど支障は無いと思います!部分的に難解な箇所に遭遇することがあるとは思いますが、是非へこたれることなく、最後まで読みきってしまいましょう!!