1章はヴィトゲンシュタインの言語ゲームの紹介である.自然言語に対して,数学や論理学はメタ言語といえる.そして,数学や論理学は人類共通の普遍的なものだと一般には考えられている.しかし,ヴィトゲンシュタインはそれを否定する.数学や論理学でさえ,自然言語と同じような「言語ゲーム」にすぎないと.というわけで,唯一の普遍的な言語などありえない.世界(社会)は無数の言語ゲームによって成立しているのである.このような認識から著者は出発する.特に本書では法規範をとりあげる.
2章で著者は言語ゲームのルールを,「ゲームと表裏一体」にあるものとして導入する.(ただし,ルールが先にあるわけではなく,ゲーム(行為)の遂行のうちにルールが自生する.)言語ゲームは分析しにくいが,ルールは分析しやすい.しかも本書のテーマは法=ルールであるから,ルール概念の導入は自然である.
著者は,ハートの1次ルール/2次ルールの区別を用いて,法規範の構造を解明する.1次ルールがまずあって,2次ルールはそれを変更したりするルールないしは言説(それもまたルール)であると素人的には考えられる.しかしこれは浅薄な理解である.
1次ルール(通常の法律)は,法律に無縁な普通人の日常生活では姿を現さない.1次ルールは法律家が,それ(法律=1次ルール)に言及することによって,姿を現すのである.しかし法律家の言説じたいも「法的言説」というルールにしたがっている.これが2次ルールである.つまり,法的言説において言及される側が1次ルールであり,する側が2次ルールなのである.
法的言説がこのようなルール関係を出現させていることに注意されたい.1次/2次というルールの区別は相対的なものなのである.
著者は,さらにハートの「審判のいるゲーム」を紹介する.審判の出番は,たとえばセーフ/アウトの区別がつきにくいときである.このとき審判は2次ルールにしたがっている.このことは,裁判官の判決が自由であること/裁判官がルールにしたがうことが矛盾しないことを示している.
著者は法の権威の根源を,承認の言説(ルール)に求め,その承認の言説のメタな言及関係の果てに,「黙認」や行為遂行による「自体的承認」をみいだす.結局,法の権威の根源は,社会の成員ひとりひとりの営みのうちにあるのである.
ちなみに柄谷行人『探求Ⅰ』は,言語ゲーム論を,他者と外部との関係として捉え,異なる無数の言語ゲームの交流と抗争の場としての社会というイメージを出している.それに対して,橋爪は言語ゲーム論を1次ゲーム/2次ゲームという「複合された言語ゲーム」としてとらえ,かつ社会の人びとの営みにひきつける.
柄谷が言語ゲームを並列的に捉えているのに対して,橋爪は言語ゲームを構造的に捉えているのである.両者のちがいを考えることにより,社会とはなにかということの理解が深まるにちがいない.
哲学を学ぶ身の自分としては、橋爪氏とは法や言語ゲームについての考え方が違っており全く共感はできないが、問題発見の種として大いに役立った。
個人的には、橋爪氏によって批判されているルーマンの予期理論のほうが合っており、ゆえに、より橋爪氏への反発が強くなってしまった。
共感はできないが、(哲学的に)「良い本」とは、単に共感できるだけでなく問題意識を植え付けられるものだと思う。その意味で本書は、自分にとって「良い本」であった。
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