どんなふうに「歌は世につれ」ていったのか
★★★★★
NHK第一の「ラジオ深夜便」を聞く機会が多く、午前三時台の「にっぽんのうた こころのうた」を聞くのが、いつの頃からか好きになっていた。本書を手に取ったのは、戦後歌謡曲について知りたいと思ったからだった。読み終わった今では、そんな目的にとどまらない、歴史書としても読める奥の深い1冊だった。
全29章、GHQによる日本占領に伴う東京の主要な土地・建物の接収、米軍キャンプの設置とGIへの奉仕としての日本人ジャズミュージシャンの雇用に関わる章から始まり、日本でのラップ・ヒップホップの受容についての章まで、記述の特徴としては音楽シーンを規定する外的要因の数々を洩らさず捉え、その結果としてのミュージシャンの表現の内実に迫っていくという手法で、各章の内容は後続の章と相互につながり、関わっている。それは歌い手の歴史であると同時に、音楽シーンを設定していく裏方たちの歴史でもある。渡辺プロやホリプロやジャニーズ事務所、田辺エージェンシーなど、芸能事務所を作った人たちが最初はプレイヤーであったことや、彼らがシステムを作り上げていく過程も本書の大きなテーマの一つだ。個人的には、システムが出来あがりきってしまう前のうたにこそ面白みが多くあって、より楽しめるのだが、そんなシステム構築の歴史の始まりにGHQの日本占領が関わっているという展望は、読んでいて非常に刺激的だ。
またもう一つ気付くことは、音楽の分野に限ることではないかもしれないが、新機軸を打ち出した者たちは先行する表現の全部ないし一部を否定する形で現れること、その繰り返しの中でジャンル自体の表現する事柄の範囲は変容していくことだ。80年代・90年代の日本のポップスをリアルタイムで熱心に聞いた身にとってみれば、そんな歌たちの表現する枠を設定した吉田拓郎・井上陽水・松任谷由実・サザンオールスターズなどがうたったこと、うたわなかったこと、後続の世代が彼らの設定した表現の枠をどう受け取ったのかを考えると、彼らの業績は功罪半ばするのではと思わざるを得ない。「ラジオ深夜便」で午前三時台に流れるフランク永井や石原裕次郎、笠置シズ子や美空ひばりなどの歌唱が持つ、聞き手をグラグラ揺るがす威力はディーヴァ系の歌手とは全く違う境地に入るし、関西フォークの持った鋭い言葉たちは今埋もれかかり、やたら説教臭い歌詞が氾濫し、若い根っこのポップミュージックは2009年の状況を明らかにしたり、爪を立てるのではなく、後ろ盾を得てますます説教を続けていく。そんなことも考えさせてくれる。
歌が表現できるオルタナティヴを見出すことも出来る1冊。過去に未来が見えてくる。