構成が凝っていて、それを味わうのも本作の楽しみのひとつなのであまりその部分については触れないでおく。それでも事前に知っておきたい人は下のレビューに詳しく書いてあるので、見ておくと良い。
本作の魅力はなんといっても市井の人々の生き様だろう。人それぞれに幸せを感じたり不幸を感じたりしている。つらいことのほうが多いが何とかがんばって生きている。そんな中で明かりを見つけ出すのだ。
これは本作に収録されているすべての編に共通して言える。結果のよしあしではなく、その過程で何を見出せたか…
市井無名の人々に対する作者の愛情が、それぞれの短編にそそがれている。なかでも、うだつの上がらぬ40男が出戻り女房に励まされ、男として再生する話は秀逸である。しかし本編どぶどろでは、なぜかやりきれない結末で作者は筆を置いている。主人公である平吉の正義は最後、「どぶ」からすくった「どろ」の中へ捨てられてしまうのだ。ここには勧善懲悪の清涼感はなく、後味の悪いまま物語は終わる。
短編に登場する善良な人々が事件に巻き込まれ、それを追及する平吉は親と慕う人々の正体を見てしまう。そして、いままで自分が偽物の人情の世界で生かされていたことを知る。
「この世はどぶで、俺たちはどぶどろなんだ。饐えて腐りプンプン匂ってやがる」
平吉は善人づらして人を上から見下ろして生きてきたある男に一言でも言ってやりたくて男の屋敷へと向かうのだが、作者は怒りと悲しみに満ちた平吉を突然舞台から降ろした。
女房は夫の手を引っ張って走り出した。
「嫌よ、折角しあわせになれたとこなのに」
その声を、平吉はぼんやりと聞いていた。
しあわせになる為には、いろんなことから目をそむけなくては・・・見て見ぬふり・・・
平吉のこの台詞は、組織に対する個人の無力さと弱者の生きる知恵をあらわしている。
巨大な権力を前にして、あまりに非力な平吉の無念の物語。悪人は一掃されず、事件も闇に葬られる。どぶどろは娯楽の側面からみると成功しているとは言いにくい。平吉の弱者として生まれてきた人間の不幸を主題にしているからだ。
別の意味での意外な結末をあじわえる特異な本である。