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村上龍映画小説集 (講談社文庫)

価格: ¥490
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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頽廃な世界 ★★★★★
村上龍さんの短編小説集です。とても面白かったです。おそらく半自伝的な小説なのでしょう。繰り返し使われる登場人物のモチーフがマンネリではなく、より深くイメージを結んでいくのが不思議です。ドラッグとセックスの無力的な世界が、展開して、大変興味深く読みました。リアリティーがあるのか、創造性のたまものなのか、わからせないところが小説と言えるでしょう。この短編集を読んで、村上龍さんの奥の深さにファンになりました。全編映画が、主題になって、まとめていますが、陳腐にはなっていないところが達者な書き手だなと思いました。
改めて小説を読みたくなった起点としての小説 ★★★★★
この本に出会わなければ、中古本屋ふくめ本屋に立ち寄ることもなかっただろう。小説を読むとは、贅沢な所作だと思う。それを教えてくれたのが、この一冊で、「いい小説に出会えない」と、小説コーナーを素通りしている方にお勧めの一冊です。
ただし、ドラッグ・セックスが題材なため、そういう話題にあわない方には向かないでしょう。
また、短編集という体裁ながら、中編小説であり、好きな章だけ読む、という方法もできるという点も、小説初心者に向いていると思います。そして、ドラッグ・セックスが題材なのに、主人公がそこはかとなく匂わせる真っ当な感じ、それが読み終わっても心の中で浮かび続けます。余韻の残る一冊です。

こうして村上龍にであい、他の著書にも触れるうち、村上ワールドに浸る心地よさに酔いつぶれてします。村上龍の強い筆力を堪能していただきたい。
5858文字(225行)の語られなかった独白。 ★★★☆☆
映画のタイトルを題名とした12篇の短編の連作小説だが、
映画がテーマではない。

冒頭の「甘い生活」で主人公は23歳。横田基地の傍らで経験した年上の女性キミコとの破滅的な生活を終え江古田に住み、美術大学に籍を置きながら登校せず、友だちのサクライと連日、映画を見ている。何かを人に伝えることを前に呆然としたのは、フェリーニの映画のせいだった。かれの手元には描きかけの絵と小説のメモがある。

次の「ラスト・ショー」からは、主人公の18歳の生活が綴られる。お茶の水の美学校に通うため佐世保から上京したばかりの彼は、新宿のロック喫茶の常連客となり、ヨウコという痩せたOLとひたすら性交するだけの週末を送っている。ヨウコが登場するのは6番目の「ブルー・ベルべット」から。ラスト2作以外、連作集の中盤から後半にかけて、彼女との日々が中心になっている。

最後の2作、再び冒頭のキミコが戻ってくる。「甘い生活」では詳しく語られなかった彼女との生活が具体的に描写され、過激な日々に疲れた主人公は、キミコの家に向かう(最後の短編「ワイルド・エンジェル」)。そこで展開される、語ろうとして語られなかった独白、「最初のうちは」から「と、私は言った」まで、5858文字(本文225行)が、句点のみでひとつの文章として延々と続く。
それまでは、田舎から東京に出てきた青年の日常を、映画を切り口に淡々とつなげている連作集なのだろうと思っていたら、これを読んだ瞬間に、12に分断されていた全体が、鋼のようにひとつにまとまり定着する。

作者は、「限りなく透明に近いブルー」でデビューしてから18年後に、この連作小説集を書いた。天才的な日本語文章家が、自分の18歳から23歳までの日々を振り返って造形した彷徨の記録。
とにもかくにも、これは読み、ですね ★★★★★
疲れ切って、もう一刻も早く眠らなければならないのに、この本を読んで、そして良かったことだけは書いておかなくっちゃ。

たいがい、人にこの本は良いとか、是非読んで、とか言われると、何となく逆にひいてしまうもんではないだろうか。
しかし、そう言ってもらったこの本は、彼女の言う通り、いやそれ以上に面白いものだった。
彼女の言う通り、私こそ読むべきである、まさにそう思う。

村上龍を何冊も読んだはずだが、正直なところ、初めて(いや本当はもう一冊あったな、でもほとんど初めて)興奮して読んだ。面白かった。
それだけにとどまらない様々な思いがある。
自分を語りたくなってしまう。

ただとにかく、これは薦めるしかない。
若い人にこそ読んで欲しいが、私と(だから村上と)同年代の50歳代のヒトにも是非にとお薦めしたい。
中間に位置 ★★★★★
 この作品は村上龍の半自伝的小説。高校最後を描いた「69」そして荒廃を描いた「限りなく透明に近いブルー」その間の期間を埋める作品となっている。
 素晴らしくポジティブだった主人公が高校生活を終え東京に出てくる。それからの暗く荒んだ日々。そこにはなんら前向きな力を感じない。自分の才能に対する疑問、人生に対する焦り、先の見えない恐怖。
 この話が何処まで本当に著者の自伝となっているかは何ら問題ではない。そしてこれらの不安は今もまだ多くの若者の中に内在しているのではないか?彼は圧倒的な文学の才能でこれを昇華、克服したがそのような才能のない多くの人はどうしたらよいのか?
 きっと必死に生きているんだろう。弱い自分を認め、どこかで己の理想と現実の折り合いをつけて生きているのだろう・・・