ポール・オースターの『幽霊たち』、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』の原文(=英文)が惜しげもなく引用され、さらには、前者には柴田、後者には村上の訳文までもが転載されている。
もちろん『現代英米小説で英語を学ぼう』の魅力はそれだけではない。
著者の上岡伸雄による解説が、小説のおもしろさをあますところなく教え、かつ、英語の勉強にもなってしまうのだ(翻訳の教材としてとても優れており、かつ、小説の楽しみ方まで教えてくれる、と言うべきか)。
オースターの『幽霊たち』を柴田元幸の訳で、次いで原書でも読んでいたにもかかわらず、本書を読んで何度も(本当に)何度も膝を打ってしまった。もちろんこれは僕の読み方の浅さを暴露するエピソードかもしれないが、同時に上岡氏の腕前の確かさを物語ってもいる。
この本の目指すところは、ただ単に英文を読んで日本語に翻訳する、というものではない。書かれている英文の意味の一つ一つを考え、噛みしめ、腹の底から理解し、そしてそれを表すのに最も適した日本語に変換してみる。こうしたプロセスを経るうちに、不思議と今まで翻訳を読んでいても気づかなかった作者の意図や心理が見えてくるようで、目からウロコが落ちるように感じるだろう。小説を読み、登場人物のアイデンティティについて考えることで、自分自身のアイデンティティを意識せずにはいられなくなる。この本はそんなふうに意欲的に小説を読むことを可能にするきっかけとなる一冊なのである。
この本が対象としているのは高校生から大学生にかけての英語を学ぶ若い世代であるが、ぼくはぜひサラリーマンやOLにも読んでもらいたいと思う。多忙な毎日の生活の中で自分を見失い、ふと自分の存在に疑問を感じたとき、『幽霊たち』のブルーや、ティム・オブライエンの作品の語り手の気持ちになって自らのアイデンティティの在り方について大いに考えてみてはいかがだろうか。