作者は正統(orthodoxy)を「正気であること」と定義し、「荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡」との例を引いています。それは「鈍重で単調で安全なもの」ではなく「危険と興奮に満ちたもの」でした。思いっきって敷衍していえば、「混沌なる世間・頼りなき己心に据えるべき鎮まれる情熱」と言えるでしょう。著者はさらに、正統の現われたるものとして「伝統」を提示します。
ここでいう伝統は、たんなる工芸や芸術といった文化の一側面ではない。父祖達の美意識・誇りや後世への思いといった、先達がハラに培ってきた情念です。
混迷する世間・頼りなき自己、それを確かなものにするには「<正統>なるものとしての<伝統>を感ぜよ。」そう言っているように思えます。
西部邁氏が序を書いていますが、やや難解な本著の要点をわかりやすく、格調たかく敷衍しています。ここを読むだけでも、清冽な気力が身体に満ちてきます。