ただ、この本は別格の秀逸。
認知症のお年寄りを集めたグループホームの運営について、客観的にユーモラスな筆致で書かれている。実際のケースを取り上げてながら「和田さんのやり方」を具体的に紹介していくものなのだが、ここで目指しているのはとことんとした「自立」。
生活すると部屋が汚れる。汚れた部屋は掃除して、天気のよい日は布団を干す。食べたいものを自分で決めて、外に行って食材を調達し、食べられるように調理する。これが自分でできるかできないか、で、「ひとの自由さ」は大きく左右される、とわたしも思う。
世話する側の人がそれらを全部「してあげる」のは世話される人にとっての「生活」を奪うことだ、と筆者は言う。「できない」「無理」「危ない」、と、何もかもを世話してあげるのは、そのひと自身の能力を奪うことになる。そのとおりだ。別に認知症に限った話ではない。
仕事の忙しいオジサンにだって、いたずら盛りの子どもにだって、勝負の日限が迫っている受験生にだって、「自立した生活」は必要だ。
『一方的にしてもらっているばかりでは、人が生きる姿から遠くに離れるばかりである。』
刺激的な言葉が並ぶ。目からウロコのおもしろさ!
この本には、箴言も溢れかえっている。上記の「人は、胃潰瘍で……」のほか、「させることより、そそること」「目指すはケニアの国立公園」「ボケもなじめばよく響く」「わがままを批判する職員のわがまま」etc……。それは、風刺に充ちた可笑しな造語だったり、僕たちの頭上を遥かに越えて真実に届く一言だったり、うっかりしてるとグサリと殺られかねない鋭利なセリフだったり――。
著者は、こうしたコトバたちを駆使して、「痴呆老人」としてくくること、そして「痴呆介護」するのをやめようとひたすら説く。それは単なる思いつきでもなければ、理想論でもない。痴呆のある人が生きることを生きられるために深く深く突きつめられた考えであり、血となり肉となった実践力から産まれたコトバなのである。
……「最近でもっとも面白い本」と知人が勧めてくれたが、僕は、いま4回目の再読を始めている。