理解を求めるエピソード?
★★★★☆
シンシア・カドハタは1956年、
日系アメリカ人(両親もアメリカ生まれ)として生まれ、
イリノイ州・アンカンソー州、ジョージア州、ミシガン州、カリフォルニア州などを
一家で移動をしながら幼少期を過ごしたそうです。
きらきらで描ききれなかった、
彼女の経験の基づく描写・差別、
捕虜収容所で過ごした実父の過去、
彼女が考える人種差別・戦時下における日系アメリカ人の処遇、
アメリカ人として戦地に赴いた日系アメリカ人への哀悼の意などが
(エピソードとして)描かれている作品です。
作品から、作者の強い思いが感じられました。
草花と土を愛する少女
★★★★★
両親を事故で亡くしたスミコと弟タクタクは親戚の花農家の家庭で暮らしている。
少女スミコたちはニッケイ人だ。
学校の同じクラスの女の子が誕生日パーティに招待してくれた。
パーティから帰ったスミコはみんなにパーティの出来事をいろいろ話した。
そしてもらってきたケーキをみんなで分けて食べた。
とっても楽しかったよ・・・
スミコは寝る前に突然泣き出す。
みんなを招待したパーティであったが実はスミコはケーキを持たされ追い返されたのであった。
なぜ
それは、スミコがニッケイだからである。
スミコは草花を育てるのが大好き、土の香りが大好き。
そんな少女だった。
日本の真珠湾攻撃によって、それまで沈黙していたアメリカがついに日本へ開戦を告げる。
アメリカに住むスミコたちの生活は大きく変わる事となる。
まずニッケイ一世のおじいさんたちは強制的にどこかへ連れて行かれた。
やがて二世、三世のニッケイも収容所生活をおくることになる。
スミコはそこで、土を耕し種をまき花を咲かせる。
インディアンの少年と友だちになる。
おばさんが収容所をでて裁縫の仕事をすると言う。
しかしスミコは食べ物と自ら育てた草花がある収容所を出てもアメリカに都合のいいようにされるだけであり収容所をでたくなかった。
しかしスミコはインディアンの少年の言葉に後押しされ新たなたびだちを決意する。
訳者;代田亜香子さんあとがきに、アメリカの日系人の戦争への参加要請を受け戦場に行った日系人は怪我をして戦線を離れても、病院を抜け出して戦争に参加した人もいたとある。
この本は読んでいて熱くなった。日本を離れアメリカで生活する日系人はアメリカ人でも日本人でもなかった。アメリカに財産を奪われ、生きていくためにアメリカ兵として祖国日本との戦争に参加するもの。
戦争へ参加しない者も運命は言わずもがなである。
戦争は国と国の戦いであり。人種の戦いでもある。
『ルーツ』作者ヘイリーさんの望む【人間は人類という同一種】ではないのかもしれない。
おじさんの特別製のスミコ種という花を見てみたいと思う。
強制収容所に入れられても、自分を失わずに暮らして行く少女のお話。
★★★★★
「きらきら」に続いて、日系人の生活を扱った作品だ。今回も、主人公が自分のおかれた環境に適応して明るさと希望を失わない。カドハタは、このような話題を取り上げてとても美しく描き出せる希有な作家だと思う。素晴らしい。アメリカは対戦相手の日独伊の中で、日系人だけを強制収容所に入れるという人種差別をした。またネイティブアメリカンに対する仕打ちなど、現在と同じ、身勝手な国だと感じる。
未来のために。
★★★★☆
十二歳の少女スミコの目を通して、強制収容所の日々の暮らしが語られてゆきます。
花農家をしているスミコたちも例に漏れず、インディアンの居留地であるポストンに収監されました。
仕事も家も財産も全て奪われて。
戦争の惨い場面が直接描かれているわけではないのに、何もすることのない空虚感や喪失感が漂い、
前線で闘っている兵士同様に苦しんでいる人々の気持ちが痛いほど伝わって来ました。
それでも日が経つうちに異人種間にも心の交流が生まれ、スミコはまた生きる意欲を取り戻して行くのです。
読んでいて、自分も心が明るくなって行くのを感じました。
わたしは想像します。
一、スミコが収容所で作った庭を。
二、マツダ家の家族が再開する日を。
三、インディアンたちの畑が成功するのを。
四、戦争の終結を。
五、スミコの夢が叶うのを。
そして、スミコ種のストックが、畑いっぱいに揺れる日を。