写実に徹した潔さ
★★★★★
生暖かい吐息が伝わって来そうなほど、クローズアップされたライオンの表紙。
視線の先は裏表紙のネズミへ向けられている。そのネズミも小さな心臓の鼓動が
聞こえてきそうなほどリアルに描かれている。共に生きているのである。
展開こそイソップ物語をなぞっていますが、描写されているのは大自然の中で
演じられた生命の営みだ。余計な文章はいっさい無く、自然の中で発せられた音が
擬音として書かれているのみ。これは本当にあった出来事で、それを後から寓話化した
のがイソップ物語だと信じたくなるほど 臨場感に溢れている。
自然というものは人間が小賢しく考えるより遥かに懐が深いもの、
そんなメッセージが舞台となっているアフリカの大地から聞こえてきました。
絵が文字以上に語る時
★★★★★
ライオンだ。
近い。
そのたてがみの流れる様子が、顔の毛が、ひげが、
つぶさに見えるほどに近い。
大型本である本書の枠に全身が入りきらないほどに寄っている。
ライオンの目は右にあるものに注がれている。
一見、異なる色の続いていない絵のようにも見える裏表紙。
でも、ある意味一枚の絵なのだ。
ライオンのこの右に寄せられた目は、
確かに裏表紙のねずみを見ている。
ねずみの大きく見開かれた瞳も
まっすぐにライオンを見つめている。
木の枝をつかんでかろうじて立っているけれど動けないのだ。
たがいに見つめあったまま時間を止めている二匹。
この緊迫感は何だろう。
最初と最後の見返しは、2枚の絵だ。
この2枚の絵は、ライオンを主役とした絵だ。
東アフリカのセレンゲティ国立公園がモデルだそうだ。
最初の絵の背景にはキリンがいて、しまうまがいて、だちょうがいて、ぞうがいて・・・
といういかにも「野生の王国」のような一枚。
オスのライオンは大あくびをしていて、
うしろにメスライオンと子どもたち。
ライオン一家のけだるい午後といった趣だ。
最後の絵は、本書らしい絵なので、描写はしないでおく。
最初の絵よりもライオン一家にカメラが寄っている絵のようだとだけお伝えしておく。
本書は、絵だけの絵本と言ってしまってもいいくらいに字が少ない。
もっとも字が多いのは、作者あとがきで、
その次は、タイトル、著者名、訳者名、献辞の書かれている見開きである。
あとは、擬音だけだ。
私は絵と字があると字の方を読んでしまう傾向にあるのだが、
さすがに本書は絵の細部までをゆっくりと眺めた。
音がどうしても必要なあのシーン以外は、
擬音が書かれていなくてもよかったかもしれないと思ったくらいだ。
1ページ1ページが1つの作品で、
1枚1枚の絵を原画展で見ているような気持ちになる。
そして、表紙から裏表紙まですべてがひとつづきの物語だ。
最初の数枚に描かれるのは、ライオンに出会う前のねずみの営み。
動きが見えて、息遣いが聞こえるようだ。
気づくとライオンの背中に乗っていたねずみ。
眠りを覚まされて不機嫌極まりないライオン。
左の前足でねずみをもてあそぶ。
ほんの爪の先にかかるくらいの軽さだろう。
でも、このちっぽけな存在を殺してなんになろう。
しょうがねぇなぁとちょっとめんどくさそうな顔をしているライオンだけど、
右の前足を下から添えて、左の前足を爪を出さずに
ねずみを包み込むライオンの手はやさしい。
ねずみを地面に下ろす時のライオンは実にすがすがしい顔をしている。
ねずみは家へと帰っていき、チュウチュウと鳴き交わしている。
今の出来事を仲間たちに語っているのだろうか。
ライオンは、ふう、寝なおすかぁといった風情だ。
その後起こる出来事を二匹はまだ知らない。
その後ちょうど本書の真ん中の見開きに訪れるクライマックス。
絵が語るものが文字を超えていた。
ここにはどんな地の文も思いつかないし、足せないような気がした。
絵から飛び込んできたものがすぐには言葉には変換されなくて、息を飲んだ。
自分の思いがうまく言葉にできなくて泣きたくなるときと
同じような感情の波がやってきた。
絵本の文章は、絵に描かれていないことを補うものだという言葉を聞いたことがある。
本書のクライマックスは、絵が全部を語っているので、
どうしても外せないあの部分以外は文字が全くいらないのだと思った。
そして、あのとき、二匹の間に言葉はいらなかったのだ。
目だけですべてを語ることがある。
あのとき起こったのはそういうことだったのだと思う。
著者のジェリー・ピンクニーは、自然保護区のそばに住んでおり、
まわりの森から聞こえてくるさまざまな鳴き声や音に
いつも耳をかたむけているのだという。
絵から音が聞こえてくる理由がわかるような気がした。
大人になってから本書に出会うと、「字のほとんどない絵本」のような見方になるが、
そういった構えが一切ない子どもが本書に出会ったらどんな反応をするだろうか。
じーっと絵を見つめるだろうか。
ライオンやねずみと目を合わせるだろうか。
絵の中で起こっている世界をお話ししてくれるだろうか。
たくさんの字が語るお話は親が子どもに読み聞かせるが、
たくさんの絵が語るお話は子どもが親に読み聞かせてくれるかもしれない。