著者である宇沢氏は日本を代表する経済学者で、本の前半では彼自身の学生時代から現代に至るまでの思想的遍歴を綴っていき、シカゴ大学経済学部教授職を振り出しに、ケインズ学派の学者として出発し、母校の東京大学へと戻り、水俣病患者の悲惨な状況を目の当たりにして思想的変質を遂げ、その原体験から、今流行の近代経済学に対して、その仮定の非現実さ、そして内容の反社会性、及び反倫理性を糾弾して行く過程は、とっても小気味よく読み飛ばす事が出来ました。
そして、日本でもアメリカでも、ジョン・デューイの目指したリベラリズムの教育が、結果としてはサミュエル・ボールズとハーバーと・ギンダスが指!するように、結局は法人資本主義的な抑圧的体系としての教育体制に堕落していったことを指摘し、そのような法人資本主義のヒエラルティックな支配から教育を護持する為に、「公園都市」構想や、大学を教養学部に一本集中して、専門課程は大学院に移管していこうと言う提言などは、なるほどそれも尤もな考えであると考えるのは私だけでしょうか?