日本人の経験した大戦車戦
★★★★★
昭和58年2月刊行
翌年
第34回芸術選奨文部大臣賞及び第18回吉川英治文学賞受賞
戦車と言えば、ドイツの機甲師団がまず思い浮かぶが
古くは騎馬隊その後の騎兵隊が同様の意味を持つと思われる。
日本にも有名な戦車戦があったようだ。
ソ連が鉄道網で補給を準備して来たのに対し、
徒歩での行軍五日に及んでの戦い。
航空戦の緒戦こそ飾ったものの
大勢を決めた地上戦においては
此方には戦車は残らず(一部後方へ退避させた?)
速射砲(対戦車砲)も破壊され最終的には
集団のソ連戦車隊(火炎放射器も装備)に肉迫、取り付いた上、
支給のサイダーの空き瓶の火炎瓶で燃やすか、
円匙(野営用シャベル)で機銃を叩いて曲げ
砲身に手榴弾を結びつけて戦闘不能にする事で応戦しながらもほぼ全滅に至る。
僅かに生き残っても前線の状況は戦後まで、口外が許されない状況だった。
この作品は軍務経験を持つ著者が
三人(当時の上等兵、衛生兵、少尉)の体験者に取材したもの。
あとがきでは「多くの、死者生者の魂に、私は、とりかこまれ、励まされながら、執筆をつづけてきた、格別に切迫した経験がある。」と述べている。
巻末に参考資料として司馬遼太郎(関東軍戦車連隊の小隊長だった)との対談があり、氏が何故ノモンハンを書けないかが記されている。