国家がなければあなた方は虫けらだ
★☆☆☆☆
憲法は国家=権力に縛りをかけて個人の自由を守るもの、とはよくいわれるが、何故そうなのか?という核心部分は本書でも十分に説明されていない。
国家=権力は放っておくとロクなことをしないから、というのみで、国家と国民を対立させ、国家に強い敵意を抱いているような思考には辟易する。
「社会・国家から恩恵を受けているからそれに従うべきというのではなく、個人が社会を作り国家=権力を運営すべきだ」という結論部分は同意するが、全体に著者の議論は青臭い正義感を振り回しているように感じる。
著者自身、自分の考えが学生の共感を得ていないことにもどかしさを感じているようだ。
安全保障論でも極論を展開する。
非武装中立どころか自衛権も否定し、万が一の時は、みんなで殺されようと呼びかける。
「大義」や「殉国」を馬鹿にする人が、”滅びの美学”を持ち出すのは笑止の極み。
医者のお坊ちゃん(著者)の空想論というほかはない。
ドラマやマンガの主人公に憲法を語らせる
★★★☆☆
第1章 キムタクの「目」で感じる立憲主義ー国家=権力観でみる憲法
「俺達みたいな仕事ってな、人の命を奪おうと思ったら簡単に奪えんだよ。
・・・俺らはそういうことを忘れちゃいけないんじゃないすか!」
憲法は「授けられた権限以外は行使したはいけません」と国家=権力に命じて
制限を課し、立憲主義は成り立っている、しかし、国家=権力はこれを守らない。
国家=権力は放っておけばろくなことはしない。
だから僕達のすべきことは、国家=権力の危険性を感じ取り、国家=権力を「頼
もしい正義の味方」だと信じ込む、国家=権力感を改めることだ。
国家は僕らをまもらない。
以下、キムタクのかわりにパタリロやイチロー選手を例にあげて、日本国憲法に
ついて熱く語っています。
普通の若者が持っていそうな憲法のイメージをよく捉え、それではいけないんだ、
国家=権力を意識して、このすばらしい憲法を守っていこう、という趣旨です。
キムタクなどが出てくるので、話には入りやすいと思います。
ドラマ・コミック・スポーツ・歌詞などを例に取った日本国憲法論と筆者の政治談議
★★★☆☆
ドラマ・コミック・スポーツ・歌詞などを例に取った日本国憲法論と筆者の政治談議の本である。もっぱら日本国憲法の話しか出てこないので,憲法理論一般についての本ではない。
ドラマなどがの話が入っていることによって,日本国憲法の話に親しみがわく人にとってはいい本だと思うが,元ネタを知らないとかなり読みづらいだろうとも思う。
教科書・学術書ではなく,新書であるから,筆者の政治談議が入るのはかまわないが,日本国憲法論と政治談議が明確に分かれておらず,読みにくい。
立憲主義の解説
★★★☆☆
立憲主義とは何かということを分かりやすく解説してくれる。
<国家の三要素のうち統治権=権力と国民は対立物である。国家=権力は放っておけばろくなことをしない。だから、憲法で縛りをかけて「余計なことをさせない」こと、憲法で公=権力の領域と私=個人の自由の領域にきっちり線引きすること、そうあるために、個人が「自立」できること、自分たちの力で権力をコントロールできることが必要だ。>
要するに、国家=権力に余計なことをさせないようにする仕組みを担保するというのが、立憲主義の考え方である。幸いながら、ぼくは公権力の横暴に接した機会があんまりないが、権力者は何も歯止めがなければ暴走するというのは歴史的にみれば真実であるということを疑うことはない。というわけで、立憲主義に立脚して、現在の自民党憲法草案とか読売試案に反対する著者の主張はわりかし理解できる。
特に、自民党案の<日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し>という部分。
こういう文章は立憲主義の考え方となじまない。しかし、何度読んでも気持ち悪い。日本は好きだけどね、何を愛するかなんて自分で決めるっつーの。
なぜかフランス料理の紹介から入るので最初はいけすかない感じだが、読んでいるといい人なのがよく分かる。いい人すぎてあまり文章はかっこよくないのだが、それもよし。うかつにもちょっと涙腺が緩んでしまう箇所も。
憲法を日常感覚からつかむ
★★★★☆
作家の橋本治氏は、憲法のことを「空気のようなもの」という。普段は全く気にならないが、なくなると困るもの、ということだ。確かに私たちは、日常生活のなかで憲法を意識するということは希にもない。せいぜい社会科の教科書で勉強するくらいだ。そういう憲法を、哲学的というか抽象的に論じる本というのは、新書レベルも含めて結構出ている。だが、今の日常を生きる感覚のなかで、憲法の意味を読みとってもらおうと試みる本というのは、それほどない。本書は、まさにそれを志すものであり、ドラマやアニメ、音楽、漫画といったサブカルチャーを題材にし、それらの描写のなかで「権利」というものがいかに語りうるのかを試みているのだ。本書の主張は端的に言えば、憲法とはあくまで国家権力による不当な介入を制限する規範であるということ、「連帯」や「共同」は自立した個人ベースに社会的につくりあげていくもの、というものだ(もっとも著者の制限規範の捉え方や個人の「自立−自律」の捉え方に僕は違和感をもつのだが、それはさておく)。本書の視角からすると、「義務」を憲法に書き込む自民党の改憲案などは、憲法の本質を全くわかっていないということになる。本書は、憲法の先生である著者が、なんとか憲法の意義を「直感的に」とらえてもらおうという悪戦苦闘の記録でもある。実際大変なんだろうなあということが行間から窺える。それでも学生に迎合することなく、工夫を重ねて真剣に向き合おうとするその姿勢は、ただテープレコーダーのように同じノートを繰り返し読み上げているだけの学者に見習って欲しいもんだとおもった。