Each of the trees here, any of them big enough to block sun at midday, would crumble into small pieces, turning into even more l
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NHKのテレビ番組のJブンガクを見ています。
2010年の8月に 高野聖を紹介していたので読み直しました。
日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に1つ一つ蛭になって了(しま)うのに相違ないと,いや,全くの事で。
というくだりを
Each of the trees here, any of them big enough to block sun at midday, would crumble into small pieces, turning into even more leeches - just imagine that!
と訳していました。
へー,そういう意味なんだと
高野聖 の中身と英語の勉強になりました。
英語にしてみると高野聖 の良さと日本語の良さを再認識できることが分かりました
日本人なら「外科室」読めよ
★★★★★
表題作の「高野聖」については語らない。あまり面白いと思わなかったからだ。
しかし、泉鏡花は、代表作は「高野聖」で、出世作は「外科室」といわれてるらしい。
この「外科室」がめちゃくちゃ面白い。ミステリ怪奇恋愛悲劇譚なのである。
なぜ、こんな優れた短編が世の中に埋もれているのか。
いや、おれが知らないだけで、世間では有名なのかもしれないが。
「外科室」を読まないで泉鏡花を語っては、まぬけである。
泉鏡花とは「外科室」の作者なのであり、泉鏡花を読みたい人は「外科室」を読むべきである。
古風な文体
★★★★☆
日経土曜夕刊の裏面で、懐かしくもあり、新しい視点で読めました。
高野聖と魚津の蜃気楼
★★★★★
高野聖の旅路を信濃から飛騨と逆にたどると、最終的に富山湾の魚津に達する。魚津の蜃気楼は飛騨山中側からの下降した冷気が、富山湾で空気の逆転層を形成するためとされる。高野聖の妖艶な幻視体験は、この蜃気楼現象と同じ地域で繰り広げられている。蜃気楼ロードというわけだ。同じ富山湾に面する能登は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となったが、この失踪というテーマは、焦点という光学用語にかこつけて、魚津の蜃気楼を意識して考えられたものではないのか。ゼロは人が無となりいなくなる失踪を意味する。高野聖の富山の薬売りの道もまた、蜃気楼ロードだった。泉鏡花の能登のすぐそばの金沢も幻視の都へと誘うものがある。名前からして、鏡に映った花が泉にも映りこむなんて幻視そのものだ。能登の幻視体験を17世紀オランダの光の魔術師・フェルメールと関連づけた本がある。「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著である。高野聖のオランダ版・幻視体験がフェルメールの口をかりて語られている。蜃気楼ロードである富山の薬売りの道を歩く時、ぜひこの本を読んでフェルメールのことを思い出してほしい。フェルメールはオランダの高野聖だったのだ。
冗長さの無い、優れた文力。
★★★★☆
現実に肉薄しているような実感味の溢れる描写に惹き込まれる。
独自の世界・雰囲気を確立している作品ばかり。
「高野聖」「義血侠血」が特に素晴らしい。
あっさりとした締め括りが特徴的で、その潔さも好印象。