「供述どおり被害者の遺体が見つかった」とあたりまえのように書いてあるが、佐木隆三の「宮崎勤裁判」を読む限り、宮崎が遺体のありかを言い当てたという事実はない。土地鑑のある場所を宮崎が適当に言い、その日のうちにそこを探しても遺体は見つからない。ところが翌日に同じ場所を探すと遺体が見つかるのである。そうしたことがこの事件には何度かあったらしいのだが、それらの矛盾への指摘などはまったく為されていない。
元警察庁エリートのAとかいう人物の話も嘘臭く、巻末の宅間との比較も説得力ゼロ。読後の結論は「宮崎って統合失調症でしょ」。犯行を実際に行ったかどうかも疑わしい。動かぬ証拠として引き合いに出されるビデオに写った宮崎の時計だって、そのシーンが発見されたときには、宮崎ではなく警察が保有していたのである。証拠捏造の否定は当然なされるべきだろう。貴重な資料を見放題という立場にあるのであれば、もう少し丁寧に検討してほしいものである。