阿修羅像を見る前にこれを読むべし。
★★★★★
昨年から「阿修羅像」に始まり、奈良の遷都君も大人気で、今や、戦後最高の仏像ブームという変なスピリチュアルな時代ですが、
仏像を見る前に、これを読めばさらに泣けます。
いや、仏像を実際に見に行く前に泣けます。
特に、仏像ガールズ、歴女さんにはお勧めの一冊です。
仏教伝来がこれほど凄まじく厳しいものであったのか、この血がにじむような苦労があって初めて仏像を彫った彫刻師の思いが理解できるでしょう。
スピリチュアルブームで、聖地に行けばご利益が得られる、そんな本が書店にずらりと並んでいます。
努力なくして、ご利益が得られるわけはないはずです。
仏像は何もしてくれるわけないはないでしょう。
でも、良縁成就のあらゆる神宮や仏像を拝みに行って、ディズニーランドの様に並んで良縁成就を願い、
それはそれで怠け者の僕は見てるだけで面白くて好きですが、実際に、僕もそんなもんですけどね、
実はこのぐらいは努力してから神仏にお願いに行けば、少しは仏像も耳を傾けてくれるかもしれません。
・・・・いや、木彫りの仏像は耳を傾けられない、すっくと立って動かないので、少なくともこちらから仏像の耳元まで行かないとだめですが・・。
壮大な規模の歴史ロマン
★★★★☆
8世紀の鑑真来訪という史実を基にした壮大な規模の歴史ロマンだ。鑑真来訪という史実は誰もが知っているが、その背景のドラマを作家としての想像力を駆使して書き上げられたのが本書である。読む前は地味な小説かと思ったが、そもそも物語の舞台が8世紀という大昔であり、しかも物語のスケールも日中両国間に及び、極めて壮大である。200ページの短い小説ではあるが、読後は壮大な物語を読み終えたように感じられる。文句無しの傑作だ。
物語自体は実際派手ではなく、むしろ地味である。とは言え、物語のテンポがいいのでさくさく読み進むことができる。また、物語の大筋は基本的には史実に基づいており、鑑真の訪日が何度も失敗に終わっていたといったことを本書で初めて知り、驚いた。強いて難点を挙げるとすれば、主要登場人物の性格付けか。阿倍仲麻呂はとことん無機的な人間として描かれているが、これはどうなのか。何か根拠があるのか。あるいは、彼の性格付け次第ではさらに本書の質が上がったのではないか。また、鑑真の性格付けもやや単純に過ぎた気もする。さらに言えば、鑑真訪日後の記述があまりにも少なすぎるのは寂しいものである。とまれ、手軽に読める歴史小説であり、おすすめしたい。
その姿は余りに尊く神々しい。
★★★★★
唐招提寺と僧鑑真(文中は鑒真と表記されています)。日本史の中でその名を記憶されていることでしょう。
鑑真は、日本に来る決意をしてから実に20年もの間、行く手を阻まれます。
今なら数時間で行ける場所ですが、奈良時代、日本と中国は其れほどまでに遠い場所でした。
日本から、決死の覚悟で次々と遣唐使として才能を認められた若者が送られてきます。
そして彼らが、日本に中国文明と仏教を伝えてゆきます。
この物語は、そういった時代に、戒師(出家を望むものに戒を授ける僧で当然、それなりの名僧)を日本に連れてくることを目的として中国にわたった遣唐使達を描いています。
鑑真は、中国全土で尊敬される名僧です。
何度も日本への航海が失敗し、遂には失明してしまい、従者のほうが諦めていたにも関わらず、遂に鑑真は日本にやってきます。
その時、一緒に戻ってきた遣唐使は、たった一人でした。
著者は、鑑真の心のうちを客観的な行動や振る舞いでもって描写しています。
その姿は余りに尊く神々しく感じられます。
今は経済活動に結ばれている日中関係ですが、両国の血が通った絆を両国とも思い起こして欲しいと願うばかりです。
最近、命、かけてますか。
★★★★★
私たちは「命を大切にしろ」って、教わる。
でも、「命を大切に使え」とは言われない。
昔と違って、交通手段が発達してるし、
知りたいことはネットですぐ調べられるようになった。
「天平の甍」に描かれた時代では違う。
何をするにも命がけでデンジャラス。
途方もない年月努力しても、一瞬で失われる不条理が横行してる。
もしかしたら「その時代の人はお気の毒」って思う人もいるかもしれない。
でも、命を懸けなきゃ何かを得られない分、
極めて精密に自分が求めていることに焦点を合わせられる。
(ある意味、道を究めるにはいい時代だったのかも?)
現代人とは、貪欲の度合いもちがう。
命を粗末にしようとは思わない。
でも、自分の信じていることにどれくらい真剣になれるか。
本当に覚悟はあるか。
…高校時代、この本を読んで心に叩きつけられたのはその問いだった気がする。
自分のやりたいことが揺らぎやすい現代、
自分を叱咤する意味も込めて、ずっと読み返したい本の一冊です。
敢えて恬淡と歴史を描く
★★★☆☆
ずいぶん昔からいつかは読みたいと思っていた小説です。我が国から初めて遣唐使が遣わされたのは630年のこと。最終は894年に第20次の使節が遣わされている。第20次と書いたが遣唐使の数え方には12回説、14回説、15回説、16回説、18回説、20回説と諸説がある。これは中止となった遣唐使や、送唐客使(唐からの使いを送り返すための遣唐使)などを回数に数えるかどうかで変わってくるかららしい。20回説は一番広範に回数を捉えた数え方ということになる。そして本書『天平の甍』に描かれた遣唐使は733年(天平5年)の多治比広成を大使・中臣名代を副使とする第10次遣唐使である。本書ではこの船で唐に渡った4人の留学僧、普照、栄叡、戒融、玄朗を主要な登場人物として、そのうちの普照が唯一人20年近く後に高僧鑒真を伴って帰国するまでを描いている。この4人の留学僧は後世にさほどの名を残すことの無かった謂わば無名の僧ではあるが、それぞれの考え方によってその後どのような生き方をたどったかがずいぶん違う。ひたすら勉学にいそしむ者、還俗して唐の女と結婚し子をもうける者、出奔して托鉢僧となり各地をさまよう者、それぞれの人生模様がある。またその他に以前の遣唐使として入唐し科挙に合格し唐朝の官吏となった阿倍仲麻呂や入唐後30年あまりをひたすら写経に費やした業行の生き方も描かれている。生き方はそれぞれ興味深く深く考えさせられるところもあるので小説としてもっと劇的に描くことも可能だったはずだが、井上氏はあえて恬淡とした筆致で描いている。そこに井上氏のどのような意図があるのかは計り知れないが、そのような描き方をすることでそれぞれの留学僧の生き方について読者自身が自らの視点で思いを馳せることが出来るのではないかと思う。
遣唐使船は1隻に120人〜150人ほど乗船したそうである。多いときは600人ほどで編成されたようだ。当時の航海技術からして無事に唐へ着ける保証など何もなく、ましてふたたび日本の地を踏めるかどうかを考えたとき極めて危ういと言わざるを得ない。しかしそれでも20回にわたり遣唐使は編成されたのであり、遣唐使船に乗船し唐を目指したそれぞれの人について数奇な運命の巡り合わせがあったはずである。阿倍仲麻呂のように帰国を願いながらもかなわず唐で生涯を終えた者もいれば、入唐すら果たせず海の藻屑と消えた者もいる。そのような中で運にも才能にも恵まれ後世に名を残した山上憶良、吉備真備、最澄、空海などもいる。歴史とは「才能の屍の積み重ね」なのだと改めて想う。