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ねこのねごと

価格: ¥1,800
カテゴリ: CD
ブランド: 徳間ジャパンコミュニケーションズ
Amazon.co.jpで確認
収録曲について少し… ★★★★★
 「冬の夜の子供の為の子守歌」は、フランスの詩人ジャック・プレヴェール(シャンソン「枯葉」の作詞者)の作品に曲をつけたもの。
冬の夜、寒さに追われて雪だるまが小さな家に入ってくる、赤い暖炉の前に座る、残ったのは水たまりにパイプと帽子だけ…、というメルヘンチックな、でもよく考えてみるとドキリとする不思議な詩。
 これに「まるで南仏のトラッド・ソングでも聴いているような、まろやかな手触りが感じられる(text by 小川真一)」高田さんの曲がついて歌われている。渡さんの曲ではもっともポピュラーな印象の歌で、みなさんどこかで聴いたことがあるはず。 
 CDの表題になった「ねこのねごと」。「あのね、あのよは、なかなかこんね…」などという、木島始さんの詩に曲をつけたもの。人間長く生きると、こんな言葉が身にしみる。
 若い世代で、高田渡さんに興味がわいたら、このアルバム『ねこのねごと』がおすすめかも。
 古くからの渡さんのファンにも、得意な酒をうたった歌も入っています。
「酒を飲みたい夜は 酒だけではない 未来へも口をつけたいのだ…」
石原吉郎さんの詩に曲をつけた「酒を飲みたい夜は」。これもずしんと身にしみますね。
渡さんは、同じ歌を繰り返し録音していますが、そのたびに違った味の歌になっています。山之口貘の詩に曲をつけた名曲「石」も、このアルバム固有の曲になっています。
「二十年以上も前につくった歌を、僕は今も歌い続ける。その歌は、時代を経ることにより、また違った命を与えられるような気がする。 歌というのは古い家だ」(著書『バーボン・ストリート・ブルース』より)

あの世でも、違ったヴァージョンで同じ歌をうたっているのかなぁ?

人を救う力 ★★★★★
 小さなペンションを営んでいます。このご時世、宿の仕事だけでは食べていけません。女房は外に定職をもち、亭主ひとりでこなしています。
 五月の連休のこと。午前中の片づけ仕事は昼を過ぎても終わらない。まもなく今日のお客さんが到着するだろう。食材の仕入れにもいかなければ…、ひとりパニックに落ちいっていた。すると宅急便のおじさんが「アマゾンさんからのお届け物で~す」と。
 渡さんのCDだ。気持ちを落ち着けなければと、まず『ねこのねごと』をかける。すると、オートハープなどの軽快な伴奏に、子供たちの歌声で「おじいさんの古時計」が! わが子たちが幼い頃、添い寝しながらよくうたってやった歌だ。続いて、「冬の夜の子供の為の子守唄」、あの渡さんの渋い、と同時にとても「粋」なボーカルが、フランスのトラッド風の演奏であらわれた。その瞬間、涙が出てきた。すーと緊張感を解いてくれた。これを機会に何とかこの日の仕事もこなせた。
 渡さんの歌には人を救う力があります。訃報に接し、約30年ぶりにお声を聴き、ようやく気づくなんて!
 わたしは一体何をさまよっていたのだろう…。
高田渡をはじめて聴いた作品 ★★★☆☆
まず1曲目は子供の歌しか出てこなくて、ちょっと唖然!でも次からは普通に唄が入っており、安心しました。
全体の印象は、いわゆる日本のフォークではなく、海外の民謡(本当のフォークの意味はコレ)に日本語をつけたモノが多い印象。
詩は本人のモノが少なく、作曲が主体なので、これも意外!
歌える浮浪者のイメージだったのですが、本人の詩でないと作られた感じが
します。でも唄はあまり美味くないけど味があります。
中でも私の青空は好きです。でも初めてコレ買うなら、曲も重複しているし、「石」の方がいいと思います。
悲しいです、あなたの声がCDだけでしか聞けなくなりなりました。 ★★★★★
吉祥寺のぐわらん堂で30年前ぐらいになりますが、LP盤でしか聞いた事ない声を生で始めてライブで聴いて感動したことや、日比谷野音での熱唱が思い出されます。私ごとですが、妻が晩年の高田さんのことを酔っ払った姿か゛親父そっくりだったそうです。あの歌い方はだれにもできません。いつかまた、よろしく、、、、、ご冥福をお祈りします。
泣けてくる。 ★★★★★
 「ねこのねごと」なんて、ずいぶんと、「毒気」の抜けた作品名は、購入時に違和感を感じた。

 ただ、僕の個人的な、人生の流れと比較して見たときに、わからないでもなかった。若くして、岡林とかの先鋭的な連中と交流し、遅れてきた拓郎やかぐや姫の路線とも違う中で自主性を発揮しようとしたら、一度、気を抜いて、肩の荷を降ろそうと思ってもおかしくないと思った。

 45歳で倒産した造船所の再建のために派遣された弁護士の僕は、夜中まで続く労働組合との団体交渉の帰りに、このCDや、「自転車に乗って」をがなりながら、車を運転して2~3時間寝るためだけに帰宅したことを覚えている。

 2005年4月16日、御逝去の報に接して。