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アダマースの饗宴

価格: ¥1,500
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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時間の浪費 ★☆☆☆☆
 松本清張賞受賞ということで読み始めた。出来の悪い映画と同じで、終わった事がベストだったような作品。予想以上に手の込んだ人物が沢山登場するが、ヤクザの人物描写にじっくり付き合う義理も無く、半可通の金融ゲームもまったく面白くなく、何を訴えたいのか解らず、イライラしながら時間を浪費してしまった。豊かになり、目標を失った日本がこんな無意味な小説を書くために才能を浪費する人物を生み出し、これに時間を浪費する読者がいるとすれば、何をかいわんやである。苦労して傑作を残した松本清張氏が怒っているのではないだろうか。
これで松本清張賞? ★☆☆☆☆
松本清張賞受賞作品ということで、最後まで我慢して読んだが、……。ヤクザ同士の闘争関係や、金融経済の説明が、分かり辛く、本当に眠りそうになった。賞を取ったぐらいだから、きっと最後にすごい展開が待っているのだろうと期待して読み通したが、結局、時間の無駄だった。お勧めしません。
結局大した展開もなく終わってしまったのが残念だった ★★★☆☆
笙子の元恋人の男が騙し取った10億円をめぐって繰り広げられる命がけのゲームという設定なのだが、いまいち盛り上がらなかった。物語の前半から中盤にかけては、やくざ同士のかけひき、IT企業の思惑、そして笙子の元恋人の男たちの介入と、どのような展開が繰り広げられるのか楽しみだったのだが、結局大した展開もなく終わってしまったのが残念だった。
ノベルズ版裏社会もの ★☆☆☆☆
第16回松本清張賞受賞作品は、ノベルズ版裏社会物でしかなく面白くなかった。
ノベルズ版としか感じられなかったのは、ヤクザのシノギを巡り銃撃戦など裏社会が舞台であるものの、そこでの一番重要な存在である筈の「刑期を終えて出所した元風俗嬢の笙子」のキャラが失敗に終わっているが故にノベルズ程度に感じるだと思う。
彼女のキャラに深みがあれば、ハードボイルドとして味わいが生まれたように思う。
洒脱な雰囲気を甘めに評価して・・ ★★★★☆
星は甘めの評価で四つ。乾いた文体で洒脱に語るハードボイルドがぼくの好みであること、久しぶりに、ただ楽しんで読んだということで随分、評価は甘い。

本書は第16回松本清張賞受賞作品。もっともこの作家、2006年の第45回オール読物推理小説新人賞受賞でのデビューらしいので、まっ更な新人というわけではない。松本清張賞?どんな賞だっけと首を傾げたが、文藝春秋社の「芥川賞」「直木賞」「菊池賞」「大宅賞」に並ぶ賞らしい。大家の作家の名はついているが、本書は決してメジャーな賞とはいえないだろう。幾冊かの松本清張氏の作品はすごかったと思うが、その作家本人と本文学賞がうまく結びついているとは思えない。
本書は書店の棚置きで見かけ、気になった作品。本に「呼ばれた」。

本書の物語の肝はマネーゲームである。ベンチャービジネスという言葉をはじめとし、その用語を含め、作品で丁寧に説明されるマネーゲーム。しかしその本質は机上の理論の空虚さに過ぎない。マネーゲームの本質が虚しいものでありながら、それに踊らされる勝ち負けにこだわる男たちの姿。それが作品に独特の雰囲気を与えているのかもしれない。そういう意味で本書は、いわゆる「現場の物語」ではない。血湧き肉踊るとはいえない。主人公である笙子は銃撃戦に巻き込まれたり、組織に囲まれ、少しエキセントリックな運び屋ジュンに救われたり、あるいは大組織のボスとの面会を果たしたり、信じる者に命を狙われたりする。
しかし作品の主人公でありながら笙子は、物語の本質である、加治という男の仕組んだ「遊び」のなかに実は混ぜてもらえていない。事件のもっとも近いところに居る傍観者に過ぎない。いみじくも作品のなかで「男の子の遊び」と称される「遊び」に、結局、女である笙子は混ぜてもらえない。笙子はただ、巻き込まれるだけ。作品の最後にそのことはしっかり、触れられている

「女の子の遊びからはじき出された子どもは、みそっかすを承知で男の子のそれに混ざるしかなかった。でもだからといって、あなたたちのように勝ち負けに必死になっていたわけでもない。
  たぶん、ただ一緒に遊びたかっただけなんだ。(P313)」

勝ち負けに拘る男の子の遊びに対し、女の子のそれがただ一緒に遊ぶことだという対比はうまい。また、多くのヤクザを巻き込み、ただ、男の子の「遊び」を行った加治も憎い。こ洒落た雰囲気がこの作品を生き生きとさせたものに仕上げている。この雰囲気がいい。

ただオビにある、あるいは幾人かのネットの読書人の拘った「ネオ・ハードボイルド」という言葉が、この作品に似合うかどうかは別だ。ネオ・ハードボイルドという言葉について、ぼくは自分のブログの「A型の女」(マイクル・Z・リューインのレビューで少し語ってみた。ひとつのジャンルとして確立しているネオ・ハードボイルドとこの作品は別物のような気がする。果たして、オビにこの言葉を選んだ編集者はどういう意味でこの言葉を使ったのだろう。そこは、とても疑問だ。

またタイトルも、もう少し作品に絡めてほしかった。確かに「アダマース」は語られているのだが、まさにとってつけたようだった。
とは、いえ、今後、この作家にちょっと期待していたりはするのだが・・。