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南洲残影

価格: ¥1,600
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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西郷隆盛に仮託して ★★★★★
最後に言い遺したかったことを盛り込んだのでしょうね。作者は先に、さまざまな判断を下しているのです。

具体的な近代史(現代史なら勿論のこと)の実際については、各種の議論、判断の分かれる状況があるものです。

判断や使用する理念を明確にしておく姿勢は、『作家は行動する』の時代から一貫していました。

方言を用いたのが一種の工夫でしょう。ただし、大久保利通も方言を用いたのですから、若干比較するに公平を欠いていましょう。

西郷と三島由紀夫氏とを並列させたりもしています。

自分を暗殺させようとした者が明治政府の中にいたことを難じている西郷文書が引用されていますが、それに西郷本人が激怒したというよりも、それを楯にとって憤激した私学校の生徒たちの肩をもち、理屈を話題に使って見せたのでしょう。ここに西郷の師父的視線の特徴があるような気がします。

不完全燃焼な読後感 ★★☆☆☆
漢詩で始まって童歌で終わるという非常に叙情的な作品ではあるのだが、「西郷隆盛」という存在があまり浮かび上がってこない。最初は割合丁寧に西郷とその周辺を描写して著者自らの思いを語っているのだが、後半は西南戦争の筋を追っているだけという印象を受ける。

あとがきで当時「漱石とその時代」を連載していて、ひと月に二つの連載は体力的に無理だから、この作品は断続的にできるだけ短く書こうと思ったと書いている。決して手を抜いているとは思わないが、読み手に著者の熱意が伝わってこない印象を受けるのは否めないだろう。はたして著者の意図どおり「そこに一つの唄を響かせること」ができただろうか?
優雅で感傷的な滅びの歌 ★★☆☆☆
しかし、どうしようもなく違和感が残る。〜人間には、最初から「無謀」とわかっていても、やはりやらなければならぬことがある〜?浪漫派が一人で勝手に滅びるのは構わないが、三万の兵士、ましてや国民を巻添えにするなどというのは、そもそも「政治」ではない。国家の政策決定プロセスを、浪漫派的人間へと単純に擬人化するなど論外である。南洲「思想」というよりは「宗教」であり、西南「戦争」というよりは「殉教」であったのだろうか。薩軍の「士」は、官軍の「農商の兵」を侮蔑したが、「士」は滅びても「農商」は生き延びた。潔く死ぬことよりも、堕落しつつ生き延びることで、日本は焦土から再生したのだ。そして、それこそが本当の強さではないのか、ANGO?
カッコつけすぎ ★★☆☆☆
日経ビジネスで、京セラの稲森さんが、西郷南洲についての傾倒ぶりを何回かにわけて書いている。会社経営と西郷の関係について知りたくなって、手にとった本。失敗であった。西郷の初心者には難しすぎる。他の本で基本的な知識を得てから読んだほうがいいと思う。また、この本、カッコつけ過ぎ。昭和20年、降伏調印のために現れた米国艦隊について、「あれだけ沈めたはずなのに、まだこんなに多くの軍艦が残っていたのかという思いと、これだけの力を相手にして、今まで日本は戦って来たのかという思いが交錯して、しばし頭が茫然とした。しかし、だから戦わなければよかったという想いはなかった。こうなることは、最初からわかっていた、だからこそ一所懸命に戦って来たのだと、そのとき小学校六年生の私は思った」なんて書いている。「これだけの力を相手にして」と思っている人間が「こうなることは、最初からわかっていた、だからこそ一所懸命に戦って来たのだ」なんていうのか?カッコつけ過ぎでうさんくさい。
自立・独立できない日本 ★★★★☆
西郷の滅びに仮託しているが、著者の様々な著書に書かれた「今」つまり戦後日本のありようが、米国の占領とその時期の検閲によって本来の日本的なものが、「軍国主義日本」という米国のプロパガンダ・徹底的な広告宣伝活動によって完膚なきまでに潰され、根無し草かつ「日米同盟」とまで言いきる一国の代表を生み出すところまでいきつくことを見通したような著作だ。
安保条約は、決して同盟ではないし、米国は日本国内に無差別爆撃を行なった国であるし、広島・長崎に必要の無い原爆を投下した国であり、当時も今も国際関係の中で認められていない「平和に対する罪」で東京裁判を行なった国であり、その責任など全く反省も無いし、いまだ正義と思っている。

倒れた西郷は、独立・自尊を目指した=大東亜戦争を戦った日本の姿そのものだと深い意味で言っているのだと私は思う。