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希望の教育学

価格: ¥3,360
カテゴリ: 単行本
ブランド: 太郎次郎社
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「花など咲かぬと思われているところに・・」 ★★★★★
 『脱学校化の社会』で有名なイヴァン・イリイチと並び称される20世紀ブラジルの教育者で、『被抑圧者の教育学』の著者である、パウロ・フレイレの著作です。
 政情不安定な南米という、この世において最も厳しいものの一つと言っていい状況下での、命がけの教育実践の記録です。また、一人の知識人の、非知識人や被抑圧者に対する、自らの隠れた偏見やエリート意識との誠実な自己超克の戦い、その過程の赤裸々な記録でもあります。
 内容をきちんと理解するには数回読み返す必要がある本ですが、文章自体は話し言葉を用いて、とっつき易く・読み易く書かれています。この書き方自体に、「自分と他者」「学びあい」「対話」等、教育において、「自分以外の相手の存在」への意識を重要なものと考える著者の姿勢が端的に現れていると感じます。
 ルソー、デューイ、ペスタロッチ、ラッセル等と教育学の古典を読んできて、この本に至りましたが「教える者と教えられる者は一方向の関係ではなく、互いがその相互の交わりの中で学びあい、教育しあう双方向の関係」「教える者は教えられる者がいて初めて完成する」という教育観はこれらの古典には書かれていなかったもので、非常に啓発を受けました。
「他者の存在」なしには「自己の存在」は不完全である、という、他者に対する感謝と畏敬を呼び覚まし、人間と人間を結合させゆく思想は、仏教の縁起観とも響きあうものだと感じました。
 フレイレの教育を受けた被抑圧者たちが彼に送った「花など咲かぬと思われているところに、花を咲かせてしまう人がいるものです」という言葉に、はっとさせられました。
同時に、フレイレの著書が南米の被抑圧者たちに広く受け入れられ、彼らの行動の動機のひとつになっているという姿が、命を懸けて書かれた一冊の本、純粋なる至誠の言葉の力は、それに触れた人間の人生を決定的に動かしうるのだということを改めて示していて、感動を禁じえませんでした。
 読んで絶対に損はない本だと思います。
抑圧者の解放 ★★★★★
この本は、中南米の革命運動とその弾圧の歴史を書き記した本であり、その歴史の背後に(個人的には)アメリカの「民主主義」の影を読み取らざるを得なかった。フレイレは、識字教育の実践者として、中南米の植民地主義(コロニアリズム)からの解放の最前線を歩き続けたのだろう。彼の識字教育は、貧困にあえぎ、与えられた劣悪な生活環境を所与のものとして受け止めている人々が、「世界を読み、字を読む」過程において、自らが被抑圧者であり、しかもその抑圧された状況に対して働きかけ、新しい状況を産み出していく「自由」を持っているのだということを自覚していく、そういった機会を提供するものだと言える。

 だが、私がこの本を読んで一番心に残った言葉は、彼の著書『被抑圧者の教育学』から引用された一節だった。
「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすらも自由にすることができない」(『希望の教育学』p.136)

 ここで彼が具体的に指している「抑圧者」は、中南米の支配階級であり、白人階級であり、軍事政権であり、大規模プランテーションの経営者たちであるのだろう。しかし、私はこの「抑圧者」という言葉に、例えば、教師や教育学者、治療者、カウンセラー、ケア・マネージャーなどを連想した。確かに「抑圧」という言葉は強すぎるような気もするが、しかし、彼らは自らをその役割(という束縛)から解放することを、自らの力のみによっては成し遂げることができないのではないだろうか? 他者を救うことによって、はじめて自らも救われるという、大乗仏教のパラドックスをここに見ることができると思うのである。
人々のちから ★★★★★
農民の人々と促進者ととの関係から、その人々の生活の背後にあるものを
問題提起をしながら、農民のエンパワメントを高め、
私たちの自治の力を見いだしていく。人々と同士として場を創っていく相互作用。
そして、私たちの社会を私たちのNeedsからオルタナティブな世界を!