私たちはことばにできるより多くのことを知ることができる
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現在、ロジカル・シンキングによる問題解決法はもっとももてはやされているビジネススキルのひとつでしょう。その方法は問題、課題を細かく分解し共通項でならべ直して瑕疵のある部分を修復することにより全体の最適化を図る手法だと私は理解しています。この方法の優れている点は、問題を一般的なものにぶつ切りにして単純化するため、分野特有の専門知識がなくても機械的に問題を解決に導くことができる(と思われている)点といえましょう。
しかしながら、ポランニーはこのような方法を破壊的分解といって全否定をしています。本書は暗黙知とはなんぞやという内容なのですが、私は、ロジカル・シンキングの先にある問題解決法を提示しているように読むことができました。そのプロセスは、先ず単純な経験(記憶)を固定した経験へと束ねていき、自由に利用できるよう統合し、内在化することにより問題を包括的に理解します。この包括化した存在に個々の諸要素を加えて階層化することにより創発を促します。この創発が根本的な革新を生み出す機能を持っているという考え方です。諸要素を内在化して絶えず世界観を更新していくプロセスは子供の成長や、生物の進化に例えられます。
ロジカル・シンキングはそれ自体ビジネスの共通言語として必須のものであることは変わりありませんが、それゆえ近年コモデティ化されているきらいがあります。中にはロジカル・シンキングさえ見につけていればできるヤツになれるという勘違いをしている若者も少なくありません。本書は本文が150ページと分量的には多くはありませんが難解な部類に入るでしょう。お手軽なHow to本にあなたが閉塞感を覚えていのでしたら是非に手にとってみてはいかがでしょうか。
参考に
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実存主義や旧ソ体制における科学観に言及しながら、宗教や伝統というものをいささか反動的に示してみせたり、ベルグソンの哲学や、知覚ゲシュタルトを側面的に読者にうかがわせたりしているところをみると、ポランニーがこの本を著した時代背景を無視して読み進めることはできませんが、著者によって「tacit」であるとされる知のダイナミズムは、現代においてもなお、人間の精神活動を形而上学の再考へと誘う魅力を失ってはいません。
しかし、ゲシュタルト概念における基本的な規準のうち、非加算性においては、創発的特性があるということが久しく論じられてしますが、心理学者たちが慎重に言葉を選ぶのに対し、ポランニーが「自然的平衡ではなく、能動的な統合と隠された実在へのcommitment」と言うとき、この思想家のフライングを見逃すことはできません。読者が注意しなければならないのは、著者はこの著書でけっして新しい哲学的な概念を提示しているのではなく、当時における道徳意識や倫理観に、ヒューマニズムではない、科学者としての経験からの形而上学的な立脚点を与えようとしていたということです。読者はこの本の中で、暗黙知に連関して、量子力学における原因なき原因という概念をみるとき、集合論やサイバネティクスについて言及がないこと、すなわち、ポランニーの生きた時代を意識することを忘れるべきではありません。
ウィトゲンシュタインは「未知なるものには沈黙すべし」と言いましたが、それに比べると、ポランニーのフライングはかなり巧妙なあどけなさとでもいうべきものに満ちています。しかしその言葉には、現代の我々に切実な感情を呼び覚ます問いかけが含まれていることを感じます。
科学者や芸術家とは果てしない問いかけの深淵に臨んで宇宙へ問いかけ続けるもののことだ
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なるほど、暗黙知は非言語的な明示的できないある種の知ではあるが、上空飛翔的な精神的営為による知ではなく、あくまで実存の関わりによる知である。だからこそポランニーは発見者の個人的な知的身体的営為の両義的でジグザグな断面を抉り出したのだ。暗黙と知は本来語義矛盾だが、実存的営為の中には、あるダイナミズムが発揮される発見のプロセスの謎が秘められていることを彼は洞察しえたわけだ。直線的で透明な降って湧いた発見というものはまずない。なぜ知は暗黙なのか? なぜ知というものは隠されてあるのか? なぜ真理は徐々にしか姿を現さないのか? またその真理はいつのまに消え去ってしまうこともあるのか?
それには「問いかける」という行為が関わっているからだと、評者は思う。言語的非言語的にかかわらず問いかけるという、答えがあるとは限らない行為とその答えの無限の反復・往還が実存にはある。問いかける方法と問いかける対象の無限の営み(戯れ)の中に我々実存は生活しているし、科学者や芸術家の営みにしても同様である。そうした無限の問いかけの厚みの中で問いかけはあるのであり、むしろそうした問いかけの果てに人間が発見されたといってもいい。そうした無限の問いかけの無限のプロセスの中で初めて宇宙(ミクロであれマクロであれ)の無限が仮定されているのであり、無限の宇宙があるから、それに向かって外から無限の問いかけがなされるわけではない。
したがって無限の宇宙とは、この問いかけの無限の中でしか意味をもたない。マルクスは、解決とは問題を明晰にすることだという意味のことを述べている。逆に答えとは新たな問いかけであり、無限の問いかけを分泌することだと言えるかもしれない。しかしこの問いかけはどこまでも人間の実存の刻印がされているのであり、人間以上の問いかけを問いかけることはできない(ここはマルクスと同じ)。
こう極論できるかもしれない。もし宇宙には過去現在未来の森羅万象がすでに書き込まれているならば、我々がそうした現象の無限のモザイクの中に真理の謎を解読し、それに触れることができるのは(触れることさえ一生かかっても叶わないかもしれないが)、偶然や血腥い闘争や努力等々の果てである。なぜならそれは、非知や無知というものが問いかけの属性にほかならないからである。暗黙知とはこういうことを言うのだろう。
現代社会の知への警告
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マイケル・ポランニーの暗黙知と言えば、あたかも肯定的な方向ばかりに目を囚われがちであるが、違う視点から読むと「バカの壁」が如何に形成されるかも判ってしまう側面もある。現代文化の多くは、記号を手がかりに個人個人が独自の「世界観」へ統合してしまうのは、安易に知を「弄んでいる」ことへの警告と受け取るべきである。ポランニーは何故、「責任」を持つ社会を提示したのか。暗黙知は、経営学の著書等で紹介も多いが、無責任な読み込みが知の「悪用」を引き起こすことは、科学客観主義への批判もある通り、個人が責任を持つ社会の問題提起こそ真剣に読まねばならない。諸刃の剣の書と思う。
彼の別書「個人的知識」で「科学は観察の拡張であり、技術は制作の拡張であり、数学は理解を拡張したものである」と喝破している。要するに、認識を拡張する潜在的な知の構造を「暗黙知」と読んでいるのである。人間はこの知を抜きに生きることはできない。この「暗黙知の次元」の詳細を研究したい専門諸氏は「個人的知識」を読んで欲しい。
マイケル・ポランニーの各著書を読み比べてみると、全く違った問題を扱いながらも一貫した考え方がある。それが最も凝縮したのが本書である。そもそも彼自身「創発」のプロセスが一様の記述はできないと考えていたらしく、大まかに言えば、物理学、化学、哲学と思想横断しているが、生命とは何かに最終的には集約されている。ポランニーは最終講義を「神よ!」という言葉で締めくくったらしいが彼の人となりが良く表現されている。責任を持って読んでみよう。
誤解してはならず。
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「暗黙知」を静態的かつ明言できない知識の集合体のように受け取っているレビュアーが居られるが、それは本質的ではない。Tacit Knowingは「知ること」のシステマティックな動的プロセス全体である。そして。そのプロセスを行っている自分自身から切り離された対象物としては何ものも「ない」ことを、Personal Knowledgeと表現しているのである。
加えて、ポランニーは生命論の文脈において機械を否定していない。それどころか『機械の中の幽霊』(By アーサー=ケストラー)よろしく、機械に生命と同様のダイナミックな構図を見て取っているのである。非生命とは明らかに異なる原理が、機械と生命には同様に立ち現れている、と。
さらに、本書で注目されている胚の等能性については、最新の進化発生生物学(EVO-DEVO)がもたらしたすばらしい知見と併読することで、進化と創発について非常にスリリングな読書体験と思索を堪能することが出来る。
シマウマの縞 蝶の模様 エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源
文庫化で手に取りやすくなりました。筑摩書房の英断に拍手。
良いです
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おもしろいです。難解だけど。