明治の武蔵野の息吹を伝える、たとえようもなく美しい書
★★★★★
はじめて本書を手にしたのは、かなり昔だったと思う。その後、何度読み返したかしれない。さりげなく、訥々とした口調ではじまる独歩の語りが、徐々に熱を帯び、饒舌となり、武蔵野への手ばなしの賛美にかわってゆく様が、とても微笑ましくゆかしい。時雨や楢林や小鳥や月、雪と風、そして、そこに住む人々への親しさ、なつかしさを、飾らない言葉で記したメモのような文章が、同時にもっとも美しい日本語の作品にもなっているのは、信じられないような気がする。馥郁たる明治の香りが、そこはかとなくただようなか、みずみずしく新鮮な武蔵野の自然を、そのままうつしとったかのような圧倒的な描写の迫力。読んでいると、目の前に楢林が広がりはじめ、黄葉した木の葉が火のように耀き、小鳥のさえずりや梢を鳴らす風の音が聞こえ、わたしのこころには、武蔵野の音楽がしんしんと流れる。
武蔵野について語る人は、‘昔の武蔵野は…’と失われゆく(もしくは、ほとんど失われてしまった)武蔵野の自然を惜しむ言葉を、しばしば口にするようであるけれども、その愛惜措くあたわざる武蔵野の自然をいつくしみ、愛で、しのぶ気持ちに於いて、昔も今も(独歩もわたしたちも)かわらぬ気持ちを共有しているようなところが、また武蔵野の特色のひとつであるのかもしれない。
「独歩は独歩」
★★★★★
国木田独歩は大作家ではない。短編小説で才能を発揮した作家だ。文学史的には自然主義作家に括られているようだ。だが、日本的自然主義文学は田山花袋・島崎藤村あたりを出発点とし、その後、近代日本文学特有の私小説へと転じてゆく文学史的主流に対して、彼の築いた独自の抒情詩的文学世界は一線を画していた。ワーズワースの影響を強く受けた詩趣に富んだ作風や、日本的自然主義小説に見られたような人間の醜悪さを露骨に描く同時代文学をむしろ嫌悪していた逸話などを考え合わせても、彼は文学的流行に惑わされずに独自の美意識に基づいて作品を書き綴った作家であったと言える。文学史的な分類は、それなりの意味を認めたとしても、独歩の文学を理解するにはかえって紛らわしい。
表題作「武蔵野」は東京近郊の自然を鋭敏かつ柔和な感受性をもって実に心地よげに愛する作者の姿を通して、彼の感受性自体が一つの美しさでもあることに、私たちは感嘆せずにはいられない。彼は、身近な日常生活圏から程近い名もなき郊外へすこし足を伸ばすだけで、自然の魅力を十分に堪能していた。しかも彼の感性は、花の季節、新緑や紅葉の季節など一般に好まれる時季ばかりでなく、いかなる季節にも自然のもたらす癒やしの効果を感じ取っていた。そこに私たちは、自然に対峙する人間本来の姿勢を学ばされる思いさえ抱く。
独歩は多くの挫折を味わってきた苦労人であり、そのゆえもあってか、社会の底辺で名もなく貧しく生きる人々への優しい慈愛の眼差しを注ぐ人でもあった。「源叔父」「忘れえぬ人々」等の作品は、彼のそうした小民たちへの慈愛の思いの表れであろう。独歩がクリスチャンであったことは彼を知る上での重要なファクターだ。そして彼の短い生涯は悩み多かったが、そのことが彼の創作の原動力にもなっているところは、近代日本文学の作家たちに共通する作家的宿命である。
作品集「武蔵野」は独歩の苦渋の生涯を昇華させた結晶である。だが、その咲かせた花は苦渋の色に染められていないところが彼の偉いところなのだと、私などは思う。
自然主義だけど、自然を描く
★★★★☆
『武蔵野』です。
国木田独歩の随筆、です。
ワーズワースの影響を受けているとも言われるようですが、そう難しく考えることなく自然体で読めば良いのではないでしょうか。
書いている独歩は自然主義のさきがけとされる作家です。
自然主義といっても、文学史的にいえば「野の風景とか自然の情景を描く」というわけではないのですが、この『武蔵野』という作品に限っては、自然主義文学者が描いた、自然の風景を描いた作品です。
でもやっぱり、人間として生きる姿も、あくまでも自然主義的に描いています。
武蔵野であってもそうでない所であっても、歩く人は道に迷うことを苦にしてはならないのかもしれません。
そしてやはり、武蔵野の自然描写が心地よいです。
現在、独歩が見た武蔵野の面影がどの程度残っているのかは分かりませんが、隠居してから住みたい所、という感じです。
若き独歩による、屈託のない随筆。楽しめます。
★★★★★
若き独歩が東京府内から、
自然溢れる都下、武蔵野に居を移し、
そこでエッセイを書く。
日本の随筆の最初の傑作と言われる、
本書「武蔵野」です。
読んでいて元気になります。
なぜかと言うと、
とにかく独歩に屈託がなく、
自然を楽しんでいるから。
とにかく独歩は若く、
どこにもでも歩いていく。
そして感想を書く。
どうでもいいことを書く。
「農家のおばあさんに水をもらい、話し込んだ」とか・・・。
これは一種の青春の記憶です。
田園や雑木林の描写も美しくて、
今は消え去った東京郊外への憧れがかき立てられます。
玉川上水へのピクニック(というのかな)と冬の雑木林の描写が気に入っています。
独歩は女っ気もなく、ひたすら田舎歩きが好きだったようです。
たまに東京に仕事で出かけるときの記述が素っ気なく、微笑ましいです。
明治のアウトドア好きな知識人が書いた傑作です。
屈託ない独歩の精神が感じられます
★★★★★
若き独歩が東京府内から、
自然溢れる都下、武蔵野に居を移し、
そこでエッセイを書く。
日本の随筆の最初の傑作と言われる、
本書「武蔵野」です。
読んでいて元気になります。
なぜかと言うと、
とにかく独歩に屈託がなく、
自然を楽しんでいるから。
とにかく独歩は若く、
どこにもでも歩いていく。
そして感想を書く。
どうでもいいことを書く。
「農家のおばあさんに水をもらい、話し込んだ」とか・・・。
これは一種の青春の記憶です。
田園や雑木林の描写も美しくて、
今は消え去った東京郊外への憧れがかき立てられます。
玉川上水へのピクニック(というのかな)と冬の雑木林の描写が気に入っています。
独歩は女っ気もなく、ひたすら田舎歩きが好きだったようです。
たまに東京に仕事で出かけるときの記述が素っ気なく、微笑ましいです。
明治のアウトドア好きな知識人が書いた傑作です。