現役の臨済宗の僧侶である著者が上梓した、3作目の中篇小説。先に記された『中陰の花』(第125回芥川賞受賞)や『水の舳先』と同様、今回の主人公もまた僧侶である。しかし、人々の苦悩を見つめる立場であった前作までとは異なり、本書では、主人公である僧侶自身が心を病み、つかみどころのない「自分」を探そうともがいている。
東北の禅寺に身をおく僧・浄念は、躁うつ病と分裂病を患っている。ときには「うつ」の、ときには躁(そう)の、あるいは薬が効いて落ち着いた状態の、「さまざまな自分」に混乱する毎日。本当の自分とは何なのか。若いころから傾倒しているロック音楽に自分探しの答えを見いだすべく、ライブコンサートを決行する。即興演奏が盛り上がるなか、しだいに常軌を逸していく浄念。ライブ直前に口走った「アブラクサス」とは何なのか。
自殺未遂、愛欲への執着、ロック…。そんな過激な過去と精神病を負う、いわゆる「聖者」らしからぬ主人公の姿が新鮮である。ただ、入り乱れる思考描写や抽象的な挿入歌が物語を難解にしている観が否めない。一方、主人公の妻の目線でつづられた後半部分は、平易な言葉が用いられており、読みやすくなっている。そして、妻が精神を病んだ夫に対する尊敬を取り戻していく場面は、全体に「重い」物語の中で、読者に安堵感を与える中和剤となっていると言えよう。(冷水修子)
人間の心に潜む巨大な振幅! 神おろしとしての音楽!
★★★★★
アブラクサス、と言えば、ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』を思い浮かべる人も多いであろう。ヘッセの『デーミアン』において、アブラクサスという神は、主人公の精神的な遍歴と成長の上で決定的な役割を果たすのである。自分の内面の深みへと降りて行き、目を背けることなく自分自身の心の底に隠された「精神の秘密」を知ろうとする者は、人間の精神の深淵にある狂気の危険に晒されなくてはならない。芸術あるいは学問といった、人間の知の根源にかかわり、真の意味における創造性をわがものとしなくてはならない者は、日常的で安定した「明るい」現実世界だけではなく、「暗く」底の知れないもう一つの世界をも、自分の住処としなくてはならない。ここで現れるのが「神的なものと悪魔的なものとを結合する」異教の神、歓喜と戦慄、神聖と醜悪、善と悪、天使と悪魔、男と女といった、対立するもの全てを包括した謎めいた秘密の神、アブラクサスである。ヘッセの『デーミアン』ではこのように言われている。
「鳥は、卵から抜け出ようと努力する。その卵は、世界だ。生まれ出ようとするものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は、神のところへ飛んでいく。その神の名は、アブラクサスという」。
こうしたヘッセの『デーミアン』の根本主題を、この作品は、21世紀の日本人である自分たち自身の問題として正面から採り上げる。
ヘッセがマックス・デーミアンとエミール・ジンクレールという二人の人物に託したものを、著者は浄念という、躁鬱の症状に悩み、薬を常用する一人の人物に集約する。浄念は僧侶であり、同時にロックに打ち込むミュージシャンである。著者はこの浄念の内面的な遍歴と葛藤を、ある時は浄念自身の内省の言葉を通じて、またある時は浄念を取り囲む周りの人物たちの視点に映る浄念の姿を通じて浮かび上がらせるのであるが、この視点の移り変わりと、距離の取り方は、絶妙である。この難しいテーマを、これほどリアルに、繊細に描き出す著者の腕前、凄い! と言う他はない。単純な比較はできないが、本作を読むと、ヘッセの名作ですら類型的、観念的すぎるようにすら思えてくるほどである。とりわけ、クライマックスの「アブラクサスの祭」の最高潮の部分は、圧倒的である!
ともかく、本作、難しいことを考えなくても、はじけた感覚といい、独特の疾走感といい、著者の作品の中でも屈指の傑作! 未読の人は、是非一度おためしあれ!
心地良い。
★★★★★
精神を病みながら日々のお勤めをする僧侶という主人公の設定が魅力的。玄侑宗久氏の本は、どれも心静かに淡々と読めるのが心地よい。その静けさの中から、何かヒントをいただいている気がする。
坊さんだって病んでいる。そんなときこそRockだせ!
★★★★☆
観念的内的世界の吐露と、心象風景の具体性に読んでるほうが神経衰弱を引き起こしそうになった。
この不安定感は、無理やりサルトルを理解しようとして消化不良を起こした若い頃を髣髴させる。
しかし、読み進めていくうちに、破綻した結婚生活を義務感だけで履行してる知人男性とダブり、興味津々。
禅問答とロック&ドラッグの融合とでも言うんでしょうか。仏教では六道のいっとうピンが有頂天でキリが金輪際だと知った。そして、その間を行ったり来たりするのだと。。。
ココロの病を持つ人間の純然たるが故の危うさに惹かれました。ただ、こういう男とつきあうのは命がけになるんだろうな。
人はそのままで正しい。
★★★★☆
神であり悪魔の役割も果たす表裏一体の神アブラクサス。
私たちは日々六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道)
の中を生まれ変わり死に変わりしているわけで、
満足できずに餓鬼の苦しみを味わう日もあれば、
怒りに吾を忘れ阿修羅に狂う日もある。
子犬が産まれれば天使の笑顔にだって成れる。
私達はそう云う六道の幅を行ったり来たりして生活するわけだが、
そういうものを含めて肯定しようするのはさすが玄侑氏。
アブラクサスを祭り、敬おうとする氏の心意気は素晴らしい。
・・・おまえはそのままで正しい・・・
と、アブラクサスが浄念に働き掛けるシーンを観ると、
良かったんだと安心します私は。
餓鬼も阿修羅も天道もそのままで正しい。
と言いつつも、地獄や阿修羅など特定の道に固執し、
それが永続するようなことが在ってはならないし、
そうならないように努力するべきであるが。
イメージが斬新です。
★★★★★
芥川賞を取ったという「中陰の花」もそうなんですが、この作者は視覚的イメージの使い方がすさまじいです。
登場人物の面白さとラストシーンの強烈さでは「中陰の花」よりもこの作品の方が上だと思います。
躁鬱病を抱えた、薬を飲まないとやっていけない中年の禅坊さんが一大決心してロックの
コンサートを開くという話です。 ・・とプロットだけ書くとただの変な話ですね。
最初、主語などがはっきりせずに読み辛い文体があまり気に入らないなあ、などと思いながら
読んでいたのですが、読み進むうちにだんだん気にならなくなり、ラストシーンでやられました。
何に対して感動しているのか、自分でもよくわからないのでうまく説明出来ないのですが・・ 今までに感じた事の無いタイプの感銘を受けました。
ちょっと気になった方は、とにかく読んでみてください。
私ももう一度読み直そうと思ってます。