魂をとらえるのは
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柳田氏の鋭い感受性である、と講演者は考えます。
柳田氏は学問の手法を大切にし、はじめは農政学、次には民俗学へと移ります。
成城学園の教授陣とともに、国語科や社会科の教科書を作ったりもします。
そこには、民俗学の分類の考え方も応用されます。
講演者は、信仰についても学問についても、初期段階・前提となるプリミティブな意識を重視します。
ところが、柳田氏の仕事は帰納的です。
意識は対象がなくては働かないので、対象の分類と整理を尊重します。
言い直してみると、意識と対象とを組みにして考えることによって、思想に値する価値について考えます。
魂よりも倫理の問題が、学問のなかに生起していたようです。
信じること
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「魂はあるに決まってるじゃないか」という氏の声を聞くと、あっても、なくても、「ある」と信じていいのではないかと、自分の心が応じているのが、感じられる。
世の中のいろいろなことが信じられない状況において、信じるものを得ることで私の心は落ち着く。
この講演集を知る前から、私は小林秀雄全集を読み、小林秀雄を信じてきた。
氏は、「自分は書くことが仕事で、いいたいことはすべて書いてきたから、講演などには信を置いていない」という意味のことをいっているが、私は氏の講演のCDを聴いて、氏を改めて信じることの安心感を得た。
信じる力を育てるにはどうしたらよいのでしょう
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とても大事なことを教えてもらった気がします。
これをどうやって自分の人生に活かしていくか課題です。
ドグマの中にいるものは、ドグマを知ることはない・・
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柳田國男が見たおばあさんの「魂」の話は、何度聴いても感動します。
「魂はあるか? あるに決まっているじゃあないか。」
ドグマの中にいるものは、ドグマを知ることはない・・。
「考えること」とは、万人が共通に理解できるように考えること。
・・わたくし個人としてしか理解できないことは、「考える」とはいえない。
「信ずること」とは、わたくし個人として、信念を持って考えること。
・・したがって、自分が信じたことには間違っていることもありうる。
そのため、「信ずること」には個人としての「責任」が伴う。
甲高い声の小林秀雄の声を聴きながら、
落語を聴いているように、
いや、落語の「隠居」さんの話を聴いている気持ちになってきます。
現代日本人の論語
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タイトル通り、この第2巻を含む全6巻の講演は、本を読まなくなった現代日本人にとっての論語であると思う。仕事でくたびれ果てても、寝っ転がって聴けばいいんです。何回も聴いて下さい。時間を経て聴いても全然OKだと思います。10年後、20年後...、死ぬ間際でも良いと思います。