ノイズ交じりの劣悪な録音、古色蒼然たる音の響き、今では考えられない演奏フォーマットなど、Parkerのどこが凄いのかまったく理解できなかったのが最初の印象。その後、懐古趣味も手伝って数十回聴いているうちに、あんたの気のせいと言われそうだが、ある日突然「目からウロコ」状態。私にとってParkerは特別な存在になった。あらゆる角度から解釈され尽くした感のあるParkerだが、個人的な体験から彼の特異性を表明するなら、「Charlie Parkerはリアルだ」ということ。そもそも音楽を聴くという行為は、LPやCD、最近ではデータに定着された「過去」をトレースし直すという作業と言い換えることができる。しかしそれはあくまでも追体験であって、演奏するプレイヤーやライブ盤なら観客などその場にいる当事者ほどの臨場感を獲得することはどうしても不可能だ。
これは音楽に限ったことではなく、メディアに収録され得るすべての芸術に共通する宿命である。では、Parkerは? いつでも、私たちの目の前に「イマ」を現出する世界を展開してくれる。こう思う時がある、Charlie Parkerとは次元の高いJazzの演奏家ではなく位相の異なる文化の創造者ではないか、と。1940年代後半のDialとSavoyは彼の絶頂期を収めた2大レーベル。国内外のレコード会社からさまざまな形とボリュームで発売され続けている。決して押し売りはしないけれど、Parkerを聴くならBGMとしてでもいいから何度もできるだけ繰り返し聴いて欲しい。