タイトルの印象と中身が違うが、それなりにはおもしろい。
★★★☆☆
以前まで本は、ほとんどアマゾンで買っていたのだけれど、それは新聞などの書評で見たりして、もうこれを買うんだと決めている場合には、家まで送ってもくれるし、とても便利なのだが、何を買うかということそれ自体を、ランキングを見たりして決めようとすると、ほとんどタイトルと表紙、それに帯の文句くらいしか見られなくて、中身を読んでみることができないので、自分の予想とはかなり違った、見当はずれな本を買ってしまうことがわかり、このごろは、せっかく近くにブックファーストがあるから、できるだけそこで買うようにしようと思っているのだ。
この本は、いちおうブックファーストでパラパラと中身も見て、きちんと選んだつもりだったのだが、この「ひきこもりから見た未来」というタイトルから、僕が、精神科の医師であり、「ひきこもり」の専門家でもある著者が、ひきこもりという具体的な事例から、日本の未来について、一冊をとおして論をなしたものかと、イメージしたのとはだいぶ違って、ひとことで言うと、著者がいろんな雑誌や新聞などに書いた、わりと短い雑文を、寄せ集めたもの、という感じだった。
ひきこもりそのものについての話も、もちろん多いのだが、内容に重複も多いし、またひきこもりとはあまり関係ない、政治や、その他時事、についての内容も多く、著者はあとがきで、この題名について、「診療室にひきこもりがちな精神科医の管見、という含意」もあると書いているが、最近こういう、本の題名と、その内容が、一致しないものが多いと思うんだよな、それについては、ちょっとがっかりだった。
ということが、読み始めにいきなりあったのだが、内容については、とくに著者の専門である、ひきこもりの話題についてが、やはり具体的な経験からくる、実感がこもった議論が展開されていて、それなりにはおもしろく、また実際、日本人として、この問題について、無関心でいてはいけないなということを、考えさせられるものではあった。
ひきこもりということについて、これまであまり実態を知る機会がなかったのだが、現在日本には、控えめに見積もっても、41万人のひきこもりがいて、この数にもびっくりだが、さらにその平均年齢が、30歳を超えているのだそうだ。
もう20年以上引きこもって、年齢が40代半ばになっている人たちというのが、なんと10万人もいるのだそうで、彼らはこれからも、引き続き、ひきこもり続けるわけなので、20年後、10万人の人たちが、それまでの人生の全てをひきこもり続けて、年金をもらうにいたる、ということになるというのだ。
それを著者は、「2,030年問題」と称していて、ただでさえも、若い世代が年金をもらうということについて、厳しくなっているこのご時世、一生のうち、一度も働かなかった人が、年金をもらうということについて、社会が寛容でいられるはずはなく、かならずや、大きな問題になるだろうと言う。
またひきこもりは、ひきこもりが長期化するにつれて、親の負担もただならぬものになり、社会的な援助も乏しく、かなり追い詰められた状態にあって、遠からず何らかの形で、それが爆発するということが起きるのではないかとも、著者は言う。
たしかにそれは、深刻な事態で、著者はヨーロッパ各国が採用しているような、「青少年省」のような、独立した専門の役所の部門が、きちんと作られるというようなことでないと、解決されないことだと著者は言うが、そのためには、専門家だけでなく、一般の人が、もっとひきこもりについて、きちんと考えるということが、ないといけないのかもしれないな。
ひきこもりというものが、なぜ一見、あまり大きな問題として、世の中で捉えられていないかということについて、それは日本が独特の側面があるのであって、外国では、社会にうまく入ることができなかった若者は、家にずっと居続けるのではなく、ホームレスになるか、犯罪組織に加入するか、ということが多く、そうなると、社会の人は、それを街角のそこここで、目のあたりにすることになるから、問題として認識されやすいのにたいして、日本では、親が頑張って、家で面倒をみるということになっていて、そうなると、社会の人たちの目からは、一見、問題として見えにくくなっているからだと、著者は言う。
しかしその親たちも、高齢化し、すでに限界に来ているケースも多く、またもしこれから、ひきこもりの親が死んだりした場合、「在宅ホームレス」と著者が称するような、生活能力のない人が、家で一人で取り残されるということにもなりかねない。
まことに暗澹たる未来が、目の前に迫っている、それが「ひきこもりから見た未来」である、というわけなのだ。
という、日本における、解決されなければならない多くの問題のうちの一つでも、これだけ深刻であるのに、政治はそれをきちんと解決するということについて、党内抗争を繰り返すばかりで、その気配も見えないという状況なわけだ。
どうしていいんやら、わからんな。