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偶然と必然―現代生物学の思想的な問いかけ

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: みすず書房
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「現代生物学者によるダーウイン進化論の基礎付け」のはずだが、 ★★★★★
世界中のamazon.comへ行って「進化論」のキーワードを検索すると、まず出てくるのがRichard Dawkinsの本。いまや彼は、かつてのThomas Henry Huxleyが果たしたDarwin’s Watchdogのやり割りの継承者のように見える。そして、現代進化論の科学的基礎は分子生物学にあるのだろう。私は最近、ベルクソンの100年前の本(1907年)「創造的進化」(岩波書店)へ、少し風変わりなレビューを書いた。その書き出しは、「ベルクソン理論」は今も健在。そこから、この本「偶然と必然」(みすず書房)に関連する部分を抜粋して、そのレビューとしたい。
ノーベル賞(1965年)分子生物学者ジャック・モノーMonod, Jacques Lucien (1910-1976)は、彼の本「偶然と必然」(みすず書房)の第II章で、ベルクソンを「形而上学的生気説」の最も著名な推進者と呼び、「私の少年時代には「創造的進化」を読んでおかないかぎり大学入学資格試験に合格することはおぼつかなかったのであるが、今日ではこの哲学はほとんど完全に信用を失ってしまったように思われる。」と書いている。ベルクソンの「創造的進化」は、世の学者からは「生気論」の一つと見なされており、皆が知っての通り、生物学上ではLife Forceを想定するこの考えは前時代的遺物とされている。すなわち、生物進化を説明するのに、科学的観点からは神秘的なLife Forceを仮定する必要はなく、生物進化はDNAに組み込まれたソフトウエアとタンパク質のハードウエアが一体となって、自然環境への「適応」と環境下での「突然変異」により、ソフトウエア・プログラムを実行する結果として説明できるとの、「機械論」が正当理論とされている。しかし、仮にベルクソンが今いたとしたら、それでも彼は正統派に反論するでしょう。即ち、「それでは聞きますが、そのDNAを創造したのは何でしょうか?」と。この質問に答えるには、進化のまえにダーウインも保留した問い「生命の起源」を説明する必要があります。その答えは未だ誰にも分かりません。ベルクソンは、その起源にも「エラン・ビタール(elan vital)」を想定しなければならないでしょうと応えるでしょう。私自身はDawkinsが徹底的に批判する「Creationists」の一人ではないのですが、しかし、現代科学の二つの基本理論(Fundamental Theories)「ビックバン宇宙論」と「ダーウインの進化論」には重大な疑問をもっています。その科学的根拠を冒頭の「ベルクソン理論」は今も健在に書きました、「あなたはどのように考えますか?」と。
タイトルが気に入って購入しました。 ★★★★★
タイトルが気に入ったことと、いろいろな本の参考文献にあがっていたので購入しました。
熱力学、生物学など、偶然におきたことを、統計的に見ると、その裏にある必然が見えてくる学問の真理を理解しようと思いました。
それから約35年経過した今も、なお、本質は変わっていないような気がします。

現代の進化論での諸問題を包含している進取性に富んだ卓見 ★★★★★
進化論における喫緊のテーマ「偶然と必然」の問題を1969年の講演を基に纏めたもの。「ドーキンスvsグールド(収斂説vs断続平衡説)」を先取りしたようなテーマで、時代を考えれば進取性に富み、議論には客観性・明晰性がある。

著者はまず、"生物"の特質を定義する。それは、合目的性・自律的形態発生・複製の不変性である。これに対し、淘汰理論が客観性の原理と両立し得る唯一のものとする。反例として次の2つを考察する。合目的原理を初めに考え、(生命圏では)それに基づいて進化が方向づけられていると言う"生気説"と、更にこれを宇宙の進化にまで敷衍した"物活説"である。ベルクソンの形而上学的生気説を一蹴し、科学的生気説に対しては、物理学・生物学的見地や弁証法的唯物論と言う哲学的問題を踏まえて、慎重に反駁する。マルクス、ヘーゲル等への批判でもある。

第三章〜第五章で、タンパク質が持つ立体的特異性、更に発生を通し、自律的形態発生がタンパク質の立体特異的な識別性に基づく事が示される。第六章では、種の不変性(DNAの複製)が説明され、DNA中の突然変異(偶発的で無方向)だけが、生物圏における創造の唯一の源であるとする。即ち、進化の根底は「偶然」である。第七章は「進化」と名付けられ、本書の思索的中心を成す。「偶然」に関与するのは「淘汰」であるが、「淘汰の方向付けに合目的的性能が果たす役割が次第に大きなものとなってくるのは明白」、「合目的的な働きが決定的なもの」と述べている所から、「進化」に定方向性を見ているようである。「必然」と断言していない点が微妙な所。第八章では、「未開拓の領域」を自由に論じて魅力的。

現代の進化論での諸問題を包含している点は卓見。現代のアメリカでも半数の州が進化論を教えていない現状を考えると、著者が哲学者をも相手に論じている点に苦労が窺える。
分子遺伝学的生命論 ★★★★★
今から、ゆうに37年は経過している古い本ですね。投稿者が21の秋にみすず書房の新刊が出て、この時、田舎の本屋で買ったものだ。オペロン説で分子生物学をリードしたモノーだが、分子遺伝学者随一の、哲学者との評判が高い。この本は、ジャック・モノーの生命現象の背後にある哲学的課題を書いている。買った当時、書いてある内容とその背景の、十分の一も理解できなかった事を記憶しています。

二十世紀の後半は分子的に見た生命現象の探求の世紀と云える、1953年にワトソンとクリックにより核酸の二重螺旋構造が解明され、生命なかんずく遺伝現象のプログラムはこの分子構造の中に、過去の膨大な記録情報が記録されていると考えられた。生命の基本的情報としての遺伝現象は、この核酸という物質の中に在ると謂う事は、エイブリーの地道な研究から突き止められたが、その構造はエックス線結晶学の成果が出てくるまで分子構造自体は不明であった。その歴史は、ワトソンとクリックに拠る論文まで決定的な物ではなかった。

二重螺旋の発見のドラマは、当事者であるワトソンの著書に詳しい、ロザリンド・フランクリンの真の貢献には何の栄誉も与えられていない。そうして、構造が確定されてみると、分子生物学は、それから、遺伝子自体の総合的な解析と進化の問題を追及して行く事になる。その一方で現れて来るのが、遺伝子工学という核酸を制御し、病理現象への治療という応用が始まってゆく。分子的に観た生命現象の理解と進歩が二十世紀後半の特徴であり、難病の治療への道をも開いてゆく事になる。

この本で、モノーが念頭に置いている、重要な問題が在る、合目的性という哲学の古い課題の背景に在る重要な問題である。生命の進化は、唯の出鱈目ではなく、其処には、何も神を持ち出す必要はないのかも知れないが、人知を超えた、普遍的な理念が働いている、と、感じるのは投稿者だけではないはずだ。この問題は、いまだに解決されていない所か、益々、問題は深い迷路に入り込むかの様でも在る。
偶然とシンクロニシティーからフェルメールへ ★★★★★
偶然と必然がいかに生物と関わるかにおいて、本書はとても参考になる。本書を読んだ後、「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著を読むことをお薦めする。もちろん、手前味噌ではあるが。応用編になる。富山湾の滑川でのホタルイカの光の集合と、魚津の蜃気楼、はたしてこの二つの現象は偶然か必然かという問題がある。相互になんの関係もない独立の現象か?もうひとつ、これは生物というより文化なのだが、同じ富山湾に面する宇出津の光の祭典・キリコ祭りも偶然にふくまれるのか?後者の本で著者は、こうした一連の能登を含めた富山湾周辺の光の偶然をフェルメールまで延長させている。あの17世紀のオランダの光の魔術師である。日本とフェルメールをつなぐ偶然を、著者は鈴木春信の絵に見出す。「紳士とワインを飲む女」の椅子の上の楽器・シタールの裏に映り込んだ光と、春信画の「鏡台の秋月」における鏡台裏のあり様、ここに無意識の偶然がある。「宇宙に・・」の本の表紙の帯の両端に紹介された部分画に注目。偶然の話をもとにもどせば、ホタルイカはニューメキシコ州・ソコロにある27基の電波・天体望遠鏡の目的性との一致の可能性を指摘している。もっと言えば、偶然・必然だけでなく、C.ホイヘンスの光の波動性と粒子性の議論にフェルメールがシンクロニシティー(同時性)として感応していると著者は言っているのだ。