自らの欲するイメージに合わせて書かれた?
★★☆☆☆
著者の向田礼賛の本であることはわかっていたが、向田への思い入れが強すぎて正直引いてしまう。あれだけの資料を駆使しながらなぜか妹和子さんの「向田邦子の恋文」についてはふれない。向田が作品内で家族のなかの秘密と嘘に肯定的だったのは自らにも秘密があったからだとなぜ述べないのか? 向田の父を「昭和の父」といいきってしまうのもどうか? 戦前の家長制が生きていた時代と戦後の民主主義の時代の家族を一緒くたにして「昭和の父」といわれてもねえ。著者のイメージに合わせて資料を集めてイメージ通りの人物像にしたと思われても仕方がない。向田が自らが育った環境をいとおしく大切に思っていたことは伝わってきただけに惜しい。
入口に立つ処まで
★★★☆☆
ノスタルジー業界における練達の書き手が新しい読者を誘う意味では何らか意味があろう。ただ、
何かが欠けている。しかもそれが決定的なのである。
小市民という向田家にはいささか不釣合いと思われる政治的メッセージ性の強い用語にこだ
わるのは、まぁ、よしとしよう。ただし、「昭和の小市民」と称して戦前と戦後をいっしょく
たにするのは、川本の言語世界ではよいのだろうが向田の言語世界や心象風景にとっては有効
ではない。戦後、「戦前」がいつまでどこまで残ったかは議論を残す点だろう(し、わたしにと
っても想像するしかない)が、質的に明らかな相違があるはず。たとえば仮に、「あ・うん」
の世界と「蛇蝎のごとく」の世界を同じ世界と断ずるとしたらいささか乱暴に過ぎると云えば
わかりやすいだろう。この点に、川本が自らの論法を無理にあてがっている姿を見る。川本の
方法論は、作品世界の背景・風景を通して作品を描く作者に肉薄するものであればこそ、この
点は致命的であり、前半は無残な印象をすら抱かせる。
後半はまぁ面白く読んだ。テレビの時代に移ってからの部分は川本の筆が冴えている。だからこ
そ、上記の問題は大同小異であるとして新しい読者を誘う有効性をうたう考え方もあろう。た
だし、これでわかった気になられては困る。誤解を怖れずに云うなら、川本三郎に向田邦子を
論ずることはできないだろうと私は考える。これは、父権に対する身体感覚という一点に集約
される。故に、向田邦子を全く知らない新しい読者を誘う意味としては、入口に立つ処まで。
本当に昭和は遠くになりにけり
★★★★★
現在、平成20年。つまり昭和が終わって20年経っているということです。もう20年も経っているのです。本書はその昭和という時代の普通の市井の人々の生活を描き続けた向田邦子の評論です。本書は彼女の作品から昭和を切り出し検証し、また彼女の作品自体を昭和の時代に照らしあわせて評論しています。向田邦子と昭和。作品と時代がシンクロして彼女の作品が生まれていることが理解できます。現在の生活で使用されなくなった言葉。また考え方。懐かしいだけでなく、彼女の作品に潜む毒までも浮かび上がらせます。
本当に向田邦子の作品は凄いですよ。本書を読んで彼女に興味を持ったら彼女の著作を手にしてください。人間の業を見せつけられます。はっきりいって怖いです。その怖さは人間の心から発生しているので、本当に怖いです。そして彼女の作品を読んだあと、本書を読むと作品のもっと理解が深まります。
「単なるノスタルジー」でいいじゃないか
★★★★★
川本三郎は、いつもそう言い続ける。
「あの頃は良かった」というようなことを言うと、「それはノスタルジーだ」と揶揄されるが、
川本三郎は常に「ノスタルジー結構!」と胸を張る。
開き直りでなく、彼自身のライフスタイルに一本芯が通っているから、
これがなかなか説得力がある。年寄りの愚痴に聞こえない。
この本も、「昭和」を描き続けた向田邦子の作品をひもとき、
向田邦子が守ろうとしたもの、現代にはなくなったものなどを綴っていく。
ここでいう「昭和」とは、歴史としての昭和ではない。
昭和30年代、急速な経済成長の中、モノも心も、いろいろなものが消えていった。
平成になって、われわれの暮らしから倫理が失われるようになった。
平たくいえば、なんでもありの荒んだ世の中になってしまった。
そんな時代になればなるほど「昭和の子」向田邦子さんの世界が
懐かしく、大事に思えてくる。
倫理といっても決しておおげさなものではない。
みんながしていることでも、自分はしない、と
自分なりの禁止事項を作ることである。
自慢話はしない。恨みごとをいわない……そんな小さなことを心に決めることである。
(あとがき)
向田邦子といえば私にとっては、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」である。
あのちゃぶ台のある風景に、彼女は徹底してこだわった。
そして今、川本三郎も同じ思いで昭和の時代を振り返る。
便利になることはいいことだが、「過ぎる」と人間がせわしなくなる。
常に何かに追われるように感じられプレッシャーに負けそうになる。
何でもかんでも「昭和30年代はよかった」と川本三郎は言っているのではない。
現代は何かを失ったかもしれない――
それを彼独自の「眼」で、ゆったりと見つめ直している。
肩の力の抜けた、いいエッセイ&評論である。