奇才
★★★★★
升田には腹の底からこみ上げてくるような笑いのユーモアがある。
凡から出て凡をいっぺん逸脱して再び凡に還るところがいいといっている。
溢れる才能と執念の人。
大山と同じく将棋は技術でなく人の成熟にありという哲学の人である。
コンピュータソフトについては、過去でなく流転が真理という確信から評価が低いが最近のソフトは過去の積分により対抗し十分な脅威となっている。
そして、軌を同じくするように最近の将棋界は4・5段クラスの学校秀才型が幅を利かしてきつつある。
2010年8月16日の竜王戦挑戦者決定戦第一局羽生名人対久保二冠の対戦で実に興味深いことが起こった。
羽生の次の一手は控室で検討(4・5段クラス)されていない手(予想外)が頻出した。
そして、徐々に久保二冠は働きのない駒ばかりになっていった。
一方、羽生名人の王は次第に相手の攻駒から遠ざかっていく。
これは、羽生名人の構想力がそうさせたというべきであろう。(技術でなく戦略。技術でなく人)
実に値打ちのある対局であった。