インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

死の棘 (新潮文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
Amazon.co.jpで確認
私小説の極北  ★★★★★
私小説なら何でもいいというわけではない。これは作者が命をかけて書いた長編私小説である。映画はこれのだしがらのようなものだ。文章がみな立つ。妻が精神病だと聞かされた夫は「ききちがいではないかと思った」とわざわざひらがなで書く。これは何なのか。使いに行った息子は途中でどぶへ落ちてどろどろになって帰ってくる。このユーモア。
夫婦愛を追究した名作 ★★★★★
 私は20代で読んだ時あまり面白く感じなかったのですが、40代で再読して心に沁みる作品だと思い直しました。おそらく自分も結婚して子供もいるからわかる世界があるんでしょうね。経済的な苦労の部分も私には身につまされるところがあり、等身大の自分に近い状況設定も惹かれた要因でした。
 ミホの純粋さはこの作品の重要な主題です。夫の不義に怒り狂う彼女の姿がいかに醜悪であっても、夫トシオが彼女の狂気に背を向けることができないのも彼女の純粋さゆえです。
 浮気そのものをモチーフにする小説はごまんとありますが、それを罪悪と捉えその贖罪の様を真正面から描く小説はあまり見当たりません。「浮気が罪である」というあまりにも当たり前な道徳観を作者は本気で信じているからこそ、この作品は真実の輝きを帯びるのです。この作品の重苦しさは贖罪というものが当然担うべき重苦しさであると理解すべきです。ミホの狂気が全篇にわたって際立ちますが、実は夫トシオがミホの狂気に翻弄され、時に逃げ出したくなり悪戦苦闘しながらも結局受け止め続けているからこそ、この小説は均衡を得ているのです。だからこの作品はやはり夫婦愛を追究した小説だと言ってよいのです。
 後年島尾氏はクリスチャンになられていますしご夫婦の関係も改善されたご様子で本当はそこまで描けば分かりやすいのでしょうけど、そこまで含めなかったのは作者のいかなる考えによるのか分かりませんが、贖罪に終わりはないという島尾氏の贖罪への思いが込められているのかもしれません。
 映画はつまらなかったと思います。夫の一人称でその内面が綴られる小説のよさがほとんど失われているからです。夫の内面を通じて描かれる内的葛藤の姿がこの作品の命だと私は考えます。ミホも松坂慶子というあまりにもイメージの出来上がった著名な女優が演じているので小説のイメージが全く損なわれています。やはり小説で読むべきですね。
壮絶な夫婦の受難を徹底的に描く実話小説 ★★★★☆
 先日、奄美大島の下に位置する小島、加計呂麻島を訪ねた際、作者の島尾氏の記念碑が立つ小さな海沿いの公園に寄った。とても静かな海を眺める記念碑を見ているうち、何か感じるものがあり、さっそく本作品をAmazonで注文した。
 
 こんな小説は初めてだった。ほとんどが実話であるようだが、胸が重く締め付けられるような感覚が最後まで続く。特攻隊であった島尾氏(作品中トシオ)が加計呂麻島で知り合った妻ミホと上京し、トシオの浮気のせいでノイローゼになった妻の発作により毎日毎晩なじられ、家を出て親戚の田舎にいくも妻の執拗な夫の過去の不倫行為の詳細に対する尋問は収まる様子を見せない。

 起承転結というものではない。最初から最後までが、家庭内のとっくみあいの描写である。
しかし、この作品は、まさしくその苦しみを描き出すところにその目的があるのだ。作品の解説を読んでわかったが、題名「死の棘」は、聖書から来ている。つまり、トシオは、浮気という「罪」を贖うために徹底的に苦しみを生きるという運命を神から与えられたのだ。

 美しい海に囲まれる加計呂麻島で生まれ育ったミホは、まるで天使のような存在である。狂気の合間にみせる美しい笑顔にトシオの決意は固くなる。

 作品では神経科に通い始める部分で中途半端な印象を残したまま終わっているが、実話では、この後、奄美に移住し、愛する妻の病は回復したという。そのとき、「死の棘」は、勝(かち)に昇華され、真実の夫婦愛が成就されたのではないだろうか。

  加計呂麻島や奄美大島には、その美しい珊瑚礁の影に悲壮な戦争の爪あとを残す。潜水艦の特攻部隊で命を散らしていった人たちは、珊瑚礁をどのような気持ちで見たのだろうか。島尾氏にとっての「死」とは、「生」と同じくらいに身近であったに違いない。
「時には傷つけあっても あなたを感じていたい」 ★★★★★
 夜間高校講師で糊口をしのぐ売文業の夫トシオによる放縦な生活の果て、篤実な妻ミホが
発狂した。
 種々の意味において、狂気というのはしばしばあまりに鋭いもの。一度、妻の発作に火が
つけば、夫の後ろ暗い過去の急所が、執拗にそして的確に抉り出されてしまう。
 そんな狂気に晒される夫もまた、病みへと引きずり込まれずにはいられない。
 塗り替えることのできぬ過去をめぐる責め苛み、夫はひたすらその過ちへの赦しを請い、
妻も一時赦しを与えたかに見せるも、発作の度にそれらはすべて洗い流され、果てなき狂気の
攻防が繰り広げられる。そこにちらつくかつての愛人の影、妻はさらなる闇へと向かう。
「カテイノジジョウ」、不和と呼ぶにはあまりに苛烈な夫婦間のせめぎ合いは、当然に幼い
子供たちを蝕まずにはいない。
 過去の影に支配された一家の壮絶な修羅場は収まることを知らず、それでもなお、夫と妻は
互いにすがらずにはいられない。「私からもぎ取られてしまえば、彼女は生きて行くことが
できないことに気がついた私は、彼女を手放すことはできない」。

 異常といえば、それはあまりに異常な共依存関係。
 しかし、島尾の描き出す狂気の軌跡はすべての人格に象徴的な寓話となる。
「耐えがたい妻の発作も、あわれが先に立ち、ひたすら眠りこむそのすがたに、愛着の湧き
あがるのがおさえられない」。
 誰のことばだったか、愛の対義語は憎悪ではなく無関心、とはまことに至言。
 もしこの世界に愛なるものが見出されうるとするならば、それはすべて互いを傷つけ合う
代償として横たわることとなる。
 島尾の文体は時に読む側の胃壁をもただれさせんばかりに真に迫ったもの。
 他者を傷つけずには存在しえぬ、この世に生み落とされた人間の不条理をこれでもか、と
生々しく綴ってみせた、問答無用の名作。
無意識下への良薬 ★★★★★
文学とはなにかを深く考えさせられた作品。つまりそれは人間とはなにか、という問いそのものなのだろうけれど、愛と狂気、日常と修羅とのあわいをこれほど克明に彫琢されると、人間とはこうも不完全な生き物なのか、と呆然としてしまう。
物語は等身大のリアリティーに支えられながら進んでゆく。ページを繰るごとに息苦しさばかりが募ってゆく。そして最後まで状況に大きな変化は訪れない。にもかかわらず、読後言いようのないカタルシスに見舞われるのはなぜだろう。
無意識下に働きかける良薬とはこうした文学の毒しかないのかもしれない。
そんな根源的な力を感じさせてくれる作品。