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イスラーム世界の論じ方

価格: ¥2,730
カテゴリ: 単行本
ブランド: 中央公論新社
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「池内恵」 入門 には適さない ★★★★☆
既に発表されたものを集めて本にしたものなので、悪く言えば書籍全体としての意義は薄い。
また連載ものの場合、どうしても思考が煮詰まる(本来の意味で)前に締切を意識して字数を埋めねばならない場合も多いはずで、やっぱり書籍として書かれたものより若干グレードは落ちる。章によって非常に面白いところとそうでないところの落差が大きい。
護教論に捉われない、検証や批判に耐え得るイスラム研究の重要性 ★★★★★
イスラム世界に関する議論は英語が圧倒的です。英語での議論はいずれも、現地の実状に対し、検証や批判を前提に為されます。しかし日本での議論は往々にして、反欧米感情の裏返しである護教論に傾斜しがちで、検証や批判に耐えられず、現地の実状と内容が乖離し過ぎる事が多い。しかし日本でだけはそれが事実であるかのように認識されてしまった事柄が数多くあり、本書の内容はそれらを再度客観的に掘り下げて検証したものです。
本書で最も新鮮なのが、欧米のムスリム移民政策を巡る内容です。日本では往々にして「欧米のムスリムへの差別」と一方的に切り捨てられがちですが、実際には多文化主義を掲げるイギリス、共和主義を掲げるフランスという具合に国によって政策が違います。またフランスでは政教分離や信教の自由を前提にしてヴェール問題が起こりましたが、一方で出生率の低下や外婚率の上昇という形でムスリム移民の同化も進行しています。一方でイギリスでは多文化主義が逆にムスリムの分離志向を急進化させ、ロンドニスタンを生み出す結果となっているように、国によってムスリムとの間に生じる問題も様々です。
政教関係を巡る内容も新鮮です。日本ではイスラムの政教一致が当然のような議論が頻繁に聞かれますが、実際にはカリフとウラマーの役割分担は10世紀頃から進行し、またイスラムの政治への位置づけに関して少なくともイデオロギー型とユートピア型の政治思想があるように、政治と宗教の境界面や相互関係も国によって多様かつ複雑です。
このように日本でのイスラム護教論は極めてあやふやな前提の上に成り立っている物が多い。検証や批判にすら耐えられない護教論が「研究」としてまかり通る日本の「イスラム研究」とは一体何なのかとつくづく思いますが、こうした当たり前の姿勢や手順を重視している池内氏の著書は、他のイスラム書籍にない新鮮さがあると思います。
目からウロコの考え方です ★★★☆☆
タイトル通り、正しくこれを読まずしてイスラーム世界は、我々日本人では論じられないかもしれない。

論文、新聞等でのレビューをまとめてます。
時事ネタも、刺激的な切り口で論じております。
正しい認識に基づかない理解は誤解を生む ★★★★★
 2002-2008年の間に発表した原稿を分類し、意図を持って並べ替えた論文・論説集と言える。初めに、アラブから見た日本の姿やイスラーム教における世界のあるべき姿などを説明し、日本でのアラブ報道を紹介した上で、最近のアラブに関する出来事を解説している。

 第I部を読むのは少々辛いのだけれど、アラブにおける平均的な論理や、イスラーム教における政治と宗教のあるべき姿と現状、そしてどのように理想を実現しようとしているのかが3つの類型で説明されており、現在のテロ組織が行っている理論武装の根底が理解できる。また、キリスト教リベラル派における政治と宗教の関係についても触れられており、これらを踏まえた上で数々の事件を読み解くと、何が根本原因なのかが理解できる。
 キリスト教とイスラーム教の成立過程における違いが、宗教から分離した世俗的な価値の追求と、コーランを大前提とした宗教的価値を世俗的価値よりも上位に置くという価値観、という違いを生んだ。つまり、西欧ではイスラーム教は全て平等に扱われる宗教の一つなのだが、アラブではイスラーム教は全ての大前提であり、その下で全ての価値が存在を許される。このため、西欧の価値観の下でイスラーム教を扱うことは、アラブにとっては許されざる大罪ということになるし、逆に、イスラーム教を特別扱いをすることは、西欧の価値観の敗北につながる。こういったことが各所での対立の根本にあるらしい。

 日本の場合はどちらかと言えば西欧的であり、価値の平等が認められているけれど、この平等を絶対とはみなしていないと思う。全ての価値を平等にすることは絶対的な価値をなくすことでもあるけれど、日本の歴史の重要なポイントでは絶対的な価値がしばしば登場する。例えば文明開化であり、グローバル化であり、エコがそれに当たる。この絶対的な価値に反する全ての価値観は排除され、ひたすら愚直に絶対的な価値の実現に向けて進むのが日本的であるのかも知れない。

 とにかく、それぞれの文化的背景を理解し、何が起こっているのかを正しく読み解き、どこに問題があるのかを正確に把握しなければ、国際的な課題を解決する糸口にすらたどり着けないということを教えられました。
知ることに伴う義務? ★★★★★
『書物の運命』や『アラブ政治の今を読む』などで、単に知らない地域の事情を知らせてくれるだけではなく
論壇・マスコミにおける定型的な思考停止を指摘していた気鋭のアラブ思想研究者(と自認しているみた
いだけど、むしろ地域研究側な感じ)による時評と評論集。

本書の衝撃は、とっても厳しいものがあります。

いろんな話題が満載ですが、それに惑わされちゃ駄目なように思っています。
論壇・マスコミにおける定型的な思考停止の指摘あり、痛烈な皮肉あり、西欧のイスラム系移民の統合や
多文化主義への反省などから、所謂ポストコロニアル(嫌)な国民国家論や民族関係論や近代化論など
を射程にした考察あり、イスラムの理念と、私たちにとってのその理解し難さがいかに認識しにくいものである
かの指摘あり、人文・社会系のいろんな議論にとって、エキサイティングな指摘だらけ。

だけじゃなく、ブッシュ政権のイラク侵攻以来の中東情勢の整理あり、欧米の中東政策の是非やイスラエル
内政の構造変化の指摘や、自衛隊のプレゼンス戦略への指摘など、あるところでは理念的に、また一方
では、すでに狭められた選択肢を踏まえて現実的に、私たちの態度が、“気持ちよく馬鹿にしてスッキリして
終わり”というものに流れていたのではないかと思わされるような、真剣な分析を提示しています。デンマーク
の新聞の例の風刺画事件も、何度も取り上げられています。

しかし、それら豊富な内容にうっかり惑わされちゃ駄目かと。
冒頭の、日本語で論じるということがどんな意味を持つのだろうか、という問いかけにこそ注目。
この問いかけは、じつに厳しいものがあります。
“襟を正す”なんてもんじゃありません。職業研究者ではなくとも、いろんな立場で世界と接する場面は増え
ている昨今(この場合の世界は、いわゆる国際的な意味での世界に限定されません)。
異文化理解だの国際化だのが、ともすればお題目に堕しかねない、痛烈で厳しい問いかけです。