インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
Amazon.co.jpで確認
   2001年9月11日、たまたまつけたNHKテレビで、ニューヨーク世界貿易センターに突入していく黒い機影を見た著者が、まず抱いたのは「ついに来るべきものが来てしまった」という気持ちだった。著者はまだイスラム政治思想史を研究する大学院生だったが、これは紛れもなくテロであり、犯人は残念ながら「イスラーム教徒である可能性が高い」と瞬時に確信し、「この先にアラブ・イスラーム研究者としての真価を問われる日々が待っていることを予感した」というのである。

   いったいイスラム原理主義は、どのような軌跡をたどって「9.11テロ」に行き着いたか。著者は、アラブ社会思想が2つに分極化した「1967年」を起点として、その道筋を跡付けていく。この年6月、イスラエルの電撃作戦によってエジプト・シリア・ヨルダン軍が撃破された。いわゆる「六日戦争」だが、この決定的敗北を画期にアラブの知的状況は「危機の時代」を迎える。つまり、アラブ現代思想は、敗北の原因を「人民勢力」の疎外に求める思想と、イスラムの倫理に反した腐敗政治に求める思想に分極し、前者は人民解放闘争を唱える急進的マルクス主義へ、後者は過激なイスラム原理主義へと伸長していく。 しかし、社会主義イデオロギーは事実上機能しなくなった。著者は残されたもう一つの思想である「イスラム主義」の非現実性を、コーランと「ハディース集(ムハンマドと教友の対話)」の今日的解釈にメスを入れながら丹念に摘出する。そして、現代アラブ世界にコーランの「終末論」と現代的「陰謀史観」のオカルト的結合の出現を見て取り、これを「危険な兆候」と警告するのである。

   著者が本書の冒頭でいみじくも言っているように、「9.11同時多発テロ」のあと、無知や誤解にもとづいた荒唐無稽な議論が信頼度の高いメディア上にも現れ、「どうせみんなも知らないのだから、なにを言ってもいい」という「自称アラブ通」のアラブ論、イスラム論がまかり通っている。まさにそういうイスラム論の悪影響を案じたのが、この本を書いた動機であるという。本書の内容の大部分は、著者が「大学院生時代に行った調査と資料収集」にもとづいているということだが、アラブ思想の地層深くボーリングのパイプを下ろした観察と、アラブ社会の「時代の気分」の鋭敏な嗅ぎ分けが見事である。(伊藤延司)

経典やイスラーム思想の著作では判らない現代のの考え方の型を教えてくれる著書 ★★★★★
 1967年に起きた中東戦争での敗北の地点から現れてきた知的動向を「現代アラブの社会思想」として捉え、詳述した著作。序でアラブ社会の現在としてエジプトの例を示したあと、1967年の敗戦後にマルクス主義を民族主義的に読み込んだ思想が社会批判論として登場し、PLOやPFLFといった組織が闘争を実践した後大衆の支持を失い、代わってイスラーム主義が社会批判論として勢力を伸ばし、やがてイスラーム過激派がイスラーム主義の信条の下でテロを実践するという一種の反復が起きていることを具体例に即して明らかにする。そしてイスラーム主義の背後で大衆の考え方を規定している要素として終末論があるとみて、ユダヤ教・キリスト教と共有する終末論、破滅と裁きと救済の図式を通覧した後に実際の文献を読み解いて現代に流通する終末論の典型を示す、といった内容になっている。

 一読して、現代に通用しているイスラーム主義というのはムハンマドの預言以来積み重ねられてきた歴史的な所産を、ほんの50年強ぐらい前に政治的に再解釈して広まったものなのか、という思いが浮かんだ。千年をゆうに超える智慧の遺産としてイスラーム思想には興味があったが、政治的な運動としてのイスラーム主義にはどちらかとしては受け取り手の現代人の志向の方を強く感じる。ここのイスラーム主義は、経典やイスラーム思想の著作を読んでいても理解しがたい部分なのだと思う。その意味で、読んでみてよかった。

 また、ここで描かれているイスラーム主義の世界観が、アメリカの世界観とよく通じ合っているように見えたのが不思議だ。世界を二分して固定し、白と黒の色分けで善と悪を設定しようとする思考態度に、共通点が見えた。この考え方の枠取りは、自分たちも良くやってしまいがちになる、ある種魅力的な形だが、それは夜の思考とも言うべきで、日が昇れば目に映るものには色彩が取り取りあるように、二分して固定した枠に収まらないことがたくさんあることを等閑視していると思う。

 現象として現れる出来事の背後で機能している考え方の典型が読み取れる一冊。
イスラーム理解の必読書。 ★★★★★
アラブの文献を丹念に読み解き、その民衆の思想、現在の思想を浮き彫りにした、俊英の労作。
今アラブでどのような本が読まれているのか、そしてどのような本が読まれないのか。反ユダヤの
原因はどこにあるのかを論理的に記述していく。英語の文献だけでアラブを語る論者が多い昨今、
イスラームを理解するのに必読書と言えよう。
日本ではほとんど紹介されないエジプト思想家の動向が新鮮 ★★★☆☆
エジプトの動向に強いが、エジプト = アラブなのだろうか。エジプトは長く続いた軍事独裁体制と個人崇拝の強化、古代から続く輝かしい国への自負など、複雑な政治的、社会的バックグラウンドがあると思うが、そのような事を切り捨てて、乱暴にエジプト思想家の思想を、アラブ社会思想と述べてしまっているように読める。ただ、貿易センタービルへのテロ事件のとき、アラブ(およびペルシャ語圏)の多くの民衆が、あれはイスラエルの仕掛けた陰謀だと答えたという話を聞くので、アラブ社会への陰謀史観の蔓延は確かにあると思う。また、日本ではあまり紹介されない思想家を数多く紹介してくれており、この部分は十分刺激的だ。更なる研究が望まれる。
共存はありえるのか ★★★☆☆
結構読みにくい本です。この作品の論旨をたどるには相当の基礎知識が必要とされます。特にナセルの非同盟運動、70年代前後のパレスチナゲリラの運動があまりにも印象が強く残っている私には。著者は、袋小路に陥っているアラブ社会の知的状況をその状況的な並びに本質的な矛盾を中心に描きます。そして私たちとは隔絶した他者を赤裸々に描いていきます。所詮はイスラム世界においては、穏健派も過激派も、イスラムと非イスラムの価値的な平等を是認することがないという著者の指摘は絶望的ながらも慧眼です。日本のメディアにはこの悲劇的な対立の認識が根本的に欠落しているようです。fallaciのrage and prideとの併読をお勧めします。
これは世界の終わりか? ★★★★★
 もし悪魔がいるとすれば、悪魔はこの世界を狂気に陥れるために、まず宗教世界を乗っ取るだろう。キリストにもムハンマドにもなりすませば、世界を一挙に破滅させることができるからだ。アッハッハと笑った顔が、突然凍りついてしまう、笑えない笑い話。本書の読後に感じたのはこれだった。
 著者は、現代アラブの思想状況が、極端な閉塞状況にある、と断じる。例えば、反イスラエル感情に酌量する余地はあっても、知識人までもが安直な反イスラエルを唱えるのは、知性の自殺行為に等しい。巷説のイスラエル陰謀史観に、社会的な権威者までもが、冷静な分析の努力を欠いて同調することも、知性の怠慢である。それは自らの主体性において解決すべき問題を、外部の責任に転嫁することであり、真の変革の意識を妨げる。なぜこんな袋小路に陥ってしまったのか?
 著者は、1967年の第3次中東戦争でのアラブの大敗北を起点に、思想潮流が急進的マルクス主義とイスラーム主義に分極したことを描出するなかで、分極化がいまだ着地点を見出せず、その残滓が漂っている状態にある、と言う。その上で湾岸戦争以降のアラブ世界に蔓延する終末論こそ、分極化の果てに陥った思想の袋小路の象徴とみる。終末思想とは、来世を待望することで真の問題解決を先送りし、自己責任を他に転嫁するという、思想の疲弊状態を示している、と言うのだ。
 最後に著者は「時代の趨勢に抗って懸命の思索を続けた知識人」を待望している。私も同感だが、ただ16世紀の宗教改革の時代も一種の狂気の時代だったことを思うと、エラスムス的知性よりも、ルター的なパワーの方が時代を推し進めていったわけで、そうしたことが、アラブを含むイスラーム世界に巻き起こっているのではないか、という感も否めない。