生命とかたちと時間
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かたちの生成するところは、つねに「いまここ」である。
西田幾多郎は行為的直観の立場から「現在が現在自身を限定する」ような現在である。
<現在が現在自身を限定するということは、現在が過去未来を含むのみならず、過去未来が同時存在であるということである>と言う。
ヴァイツゼッカーは「生命が時間の中にあるのではなく、時間が生命の中にある。時間が生命の自己措定によって生成する」。
「時間を橋渡しする現在」において同時化される。
そこには、「想起」がはたらいている。「想起」がかっての未来の不確実性を現在の過去の確実性に変える。現在の未来へ向かっての「先取」という特性は、未来がやがて過去になったときに「想起」によって取り出される。と言う。
生命それ自身はかたちがない。かたちを作り、かたちを持つ、そしてやがて消滅する。
生命の二重構造である。
生命の生成と時間についての「生命論的差異」からの考察である。