活動屋魂を知るために、読むべき本
★★★★★
30年以上前に都合10作放たれた、日本映画界最後の
アナーキー・プログラム・ピクチャーが『トラック野郎』シリーズである。
ちなみにトラック野郎という単語は、この作品が語源だ。
東映の夏・正月公開、つまりカウンター寅さんとして続いた作品なのだが、
あちらに比べるとこちらは徹底的にバカで、下品で、
スラップスティックで、アクションである。
まぁ、多分にこのシリーズは、自分のようなボンクラ70年代東映愛好家か、
本物のトラッカーにしか支持されてないんだろうな、と思ってきた。
なので、他人にこの映画のことを話す時は「多分知らねぇだろうけど、
昔の日本映画にくっだらねぇのがあってね・・・」という具合。
ところが、なぜかこの映画、今も支持されてる感じがある。
ビデオもDVDも廃盤にならない。なんだかズーッと出続けている。
そして、全作を手がけた鈴木則文監督が、最近いきなり
この映画について書いた本を出した(「トラック野郎風雲録」国書刊行会・刊)のち、
続いていきなり放たれたのが、この「映画『トラック野郎』大全集」である。
僕にとっては、監督の著書もまさかだし、この研究本も、まさかだった。
しかし双方を読み進めるうちに・・・
これはなるべくして30年も支持された映画だったんだ! という、
作品の持つ本質的な力に、あらためて気がついたのである。
監督は、このシリーズを後世に残そうなどとは、全く思って作ってはいない。
鈴木則文という人は、そもそも「映画の花火職人たらん」を
モットーにした監督だったので、とにかく観客にサービス
することだけを考え、ひたすら娯楽な映画作りに徹している。
しかし、図らずもそんな『トラック野郎』は、
「活動屋が活動屋であった時代の最後の徒花」になっているのが、
読んでてよーくわかったのである。
職人が職人としてそれぞれのパートに力を傾け、
無茶なスケジュールを乗り切り、工夫を凝らし・・・
ただ数カ月後に劇場に来る客を楽しませることだけを考えて、撮りまくる。
役者も、スタッフも。
ありきたりだが、そういう時代の「最後の日本映画」だったのだ。
ウンコチンチン下ネタだけに思えるギャグシーンも、マドンナに影響されては、
にわか文学に走る桃次郎(文太)の繰り出すネタも、実は結構な計算やバックボーンがある。
トラッカーやトラックについても、監督と脚本家が頭を捻り、実際に見聞し、
各スタッフが細かく形にしている。(あのウルトラマンデザイナー・成田亨も
特撮監督じみたポジションで関わっていたと、本書で知った)
驚くのは、それがいわゆる「鈴木組」の仕事ではなかったということだ。
今なら、例えばたけし映画なら、監督の気心も酸いも甘いも知り尽くした
「北野組」のフリースタッフが、たけしの要望でたけしの元に集合する。
恐らく、万難を排して、スケジュールいじって。
しかし『トラック野郎』は、所詮東映の各社員が、スケジュールの
状況に従って、社命で組ませられていただけなのだ。
(美術監督と製作担当の一部除く)
それなのに、なんたるチームワーク。なんたるプロ意識。
「活動屋」「娯楽映画職人」の生きざまが、垣間見えた。
この本に書かれてるのは、別に『トラック野郎』を楽しむ上で
知らなくても全然いいことばっかりなのだが(w
だがしかし、知っていれば・・・
「30年も支持され、見続けられた映画」には明らかに、
消えた多くの作品とは違う、なみなみならぬ背景があるよな、
ということに気が付き、驚嘆せざるをえないのだ。
『トラック野郎』は一見クッダラネェ映画だけど、理屈抜きで面白く、
今の日本映画が失った要素が全部あるな、ということにあらためて気付いた。
こんな本をよくぞ出してきた。鈴木監督と編集者に、感謝。
東映はDVD-BOXを出すべきだよ・・・絶対。
全部が全部寅さんに勝つとは言わないけど、
でも俺にとっては同じ価値のある作品なのだ。『トラック野郎』は!