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桃―もうひとつのツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

価格: ¥540
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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過去は消せない。 ★★★★☆
生きてるのは今。
過去は消せない。
そして変えることはできない。

情熱を費やした過去の出来事は
今もこの先も心の中に残るだろう。

過去に思い悩んで選択した結果は
間違いじゃないはず。
そうじゃないと過去に引きずられて、
今を生きられなくなってしまう。
「ツ、イ、ラ、ク」外伝 ★★★★☆
「ツ、イ、ラ、ク」の中で登場した人物たちのその後、あるいは当時から現在に至るまでの物語が、各人物の視点からオムニバス的に語られていきます。その語り口、つまり文章のスタイルはまさに人それぞれで、姫野カオルコの中に複数の人格が存在しているのではないかと疑いたくなるほど。しかも各物語の中での時間の流れ方も人それぞれであり、1粒で何度も美味しい短編集に仕上がっています。

そう、まるで「ツ、イ、ラ、ク」の中の人物たちが現実の世界に現れ、独立して個々人の作品を持ち寄ったかのよう。

姫野カオルコの作家としてのポテンシャルの高さや、人間としての経験値の豊かさを感じさせてくれる一冊だと思います。

この "外伝" だけを読んでもそれなりに楽しめるとは思いますが、やはり超一級品である「ツ、イ、ラ、ク」をまず読んで、その後本作品へと一気になだれ込むというのが、ヒメノ文学への正しい "ツイラク" の仕方でしょう。
「ツ、イ、ラ、ク」を読んでから読むべし! ★★★☆☆
「ツ、イ、ラ、ク」の主人公やその周辺の人たちの“その後”が収められた
スピンオフ的な作品です。

愛情・嫉妬・羨望・・・。
これらの感情は中学くらいの年頃ではじめて経験するものだから、
彼女たちはその感情をうまくコントロールすることができない。
中学生・・・多感な時期に経験した感情だからこそ、
その思いは彼女たちが大人になっても永遠に彼女らの深淵に深く深く根付く。
14歳の性愛は大人たちのそれよりも激しく生々しい。
時間が経ったからこそ気づくこともある。
あの頃の隼子の真剣な思いが今更になって強く伝わってきて、
「ツ、イ、ラ、ク」を読んだ時の思いが再び甦ってきました。
時と立っている場所と ★★★★☆
文庫化に当たり著者は本書がツ、イ、ラ、クと対であることを明確に示すタイトルにしました。
桃の物語たちをツ、イ、ラ、クを読まないと味わいが激減してしまうのは、確かなことです。
マーケティングでは対であることを示すことは不利といわれているにも関わらず、そう決定した作者にまず拍手。
準子ちゃんが14才で落ちた恋愛事件の周囲の風景、および本人の回想からなる短-中篇の小説です。
長命市にもう一度さまよいたかったのは、読者だけではなかったのですね。
著者もみなの人生を堪能しながら、サイドストーリーを著しました。
ツ、イ、ラ、クの甘い物語を抑える頑なな文体を手放し、豊かな叙情性をたたえた物語たちでした。
しかも読者を裏切るのが、キャラクターのたった主要な脇役を主役に据えるのではなく、そう言えばこんな登場人物も居たっけな人々からあの時代を語らせたのが ウマイ!!!!!
長命市の物語は作者にとっても本当に奇跡のようなストーリーだと思います。
文才があふれるのに泥をすするような日常から、本当に美しい花を人生で咲かせた得がたい時代に著された物なのでしょう。
今まで関わってきて、今はどうしているのだか分からなくなった全ての友人たちの幸せを祈らずには居られない1冊でした。
「桃」によって「ツ、イ、ラ、ク」はより重層的な物語になる ★★★★☆
 “大半の女たちは、過去をどんどん削除してゆく”と姫野カオルコは書く。だとしたら、姫野カオルコは特殊な女である。こんなにも鮮明に少女時代の記憶を呼び覚ますことが出来るのだから。“あのころゆえの、倣岸なる楽観ではなく、後年ゆえの客観”。誰しもが忘れ去ってしまっているのに、実はもっとも人生の中で大事で豊かで切実だった少女の時間を作者はリアルに書き付ける。さらに姫野カオルコは“少年の心”さえもお見通しだ。“少年にとって、だれか特定の異性に思いを寄せているという事実は、一世一代の「恥」”。これを書かれては敵わない。さらなる追い討ち。“十四の女と二十歳の男の、精神年齢は同級生”。もうお手上げである。
 
 作者もあとがきで触れているが、この短編集「桃」は、「ツ、イ、ラ、ク」と対をなしている。あの物語からあの時様々な距離にいた人々が、「ツ、イ、ラ、ク」の物語の断片を、様々な形で語っている。そこには「ツ、イ、ラ、ク」では知りえなかった事実があるし、それぞれの立場からの異なった見方がある。「桃」によって、「ツ、イ、ラ、ク」はより重層的、複眼的、普遍的な物語になっている。作者は「桃」と「ツ、イ、ラ、ク」は対ではあるが別モノであり、独立して読んでほしいと記しているが、やはり「ツ、イ、ラ、ク」を先に読むべきだと僕は思う。
 「桃」では、“幼さ、若さ”あるいは“田舎の共同体社会”といった時間・空間の不自由さから引っ張り上げてくれるものとしての「恋愛」ってのが、よりクリアに描かれている。「ツ、イ、ラ、ク」にあった物語性がスッポリ抜けている分、作者のメッセージが表に出過ぎてしまっているきらいもあるが。冒頭の「卒業写真」で、また姫野カオルコに泣かされてしまった僕ではあるのだけれど...