『杳子』の作者が人生の達人になっていた
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思い出したのは吉本隆明さんが語り下ろしでしか本を出せなくなってからの『僕なら言うぞ!』『13歳は二度あるか』『よせやぃ。』などの本。それまでの読者から大きくかけ離れた層に、あえてイメージを壊して、けっこう下世話に語りかけている点が似ているかな、と。
古井さんが手取りの月給が10万円に届いていない時代の大学教師を辞めて書いた第一作は240枚の『杳子』ですが、当時の文芸雑誌の原稿料は600円から1000円なので、当分の計算は立った、なんていうあたりから語り始めます。当時、「自己解体」をスローガンに学園紛争に熱中している学生たちを、古井さんは《目に見えない何かに対するツケのようなものを支払っている風に見えました》(p.23)と書いていますが、それが可能だったのは経済成長を当たり前だと考えていたからだ、と。そして《経済は人の社会を外部から根本的に変えてしまい、どう変わったのかも気づきにくい》とも。
そんな話から、《不祝儀の場の年寄りの振舞いに、男の色気は出るもんなんです》《喪服を着て、お焼香をして、挨拶して、お清めをして帰ってくるだけのことが、いまの男は、なかなかサマにならない》(p.44)なんあたりに飛んで、さらに男に色気がないから、いまの女性の化粧は他人を拒絶するような印象を受ける、というところまでいきます。
《人間には、破壊の欲望があるもんなんです。すべてが壊された時、人は解放される。人はそれぞれ、過去にろくなことを抱え込んでいないでしょう》(p.61)なんてあたりもいいな。
著者の半自伝的回想
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著者の半自伝的回想を佐伯一麦、島田雅彦、鵜飼哲夫や早稲田文学の関係者を聞き手にまとめたもの。著者は内向の世代と呼ばれた小説家として現役。それ以前はドイツ語ドイツ文学の教師として金沢大学や立教大学で教鞭をとり、以後作家として独立。高校時代から東京の風景を回想しながら、街があるいはその街に漂う人々の「色気」の濃淡が、作家を支えていることを論証的に語られて出色。心理学や社会学に依拠しないで、作家の感性と洞察力の鋭利が活きている。
私小説的な作品が多いが、私小説にならず独自の文学世界を描き出せたそのメティエを披歴していて、面白い。文学が伝統的な枠組みで構成しえなくなった社会構造を文芸雑誌編集とそのパトロネージの関係を説明したり、実に興味深い。現代の文芸作家たちとの違いなどにも言及があり、過渡期の文学を担う意味を語って意義深い。
毎年1冊以上の本を出してくれるのが、うれしい。
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毎年1冊以上の本を出してくれるのが、うれしい。ほぼ全ての著作を持っています。
人生の色気 古井 由吉 (単行本 - 2009/11/27)
漱石の漢詩を読む 古井 由吉 (単行本 - 2008/12)
白暗淵 しろわだ 古井 由吉 (単行本 - 2007/12/7)
辻 古井 由吉 (単行本 - 2006/1/26)
聖なるものを訪ねて 古井 由吉 (単行本 - 2005/1)
仮往生伝試文(新装版) 古井 由吉 (単行本 - 2004/12/11)
ほんと、すごいな、この人は。
淡々と年月を重ねる姿を見習いたい。
ていうか、うーん。もっと単純に、
とりあえず、この人のは読んで後悔したことない。
この人の書く本に、僕のレビューはそれほど必要がないので、タイトルを羅列。
"漱石の漢詩を読む"から
読むと入りやすいと思いました。
古井さんが語った40年の作家人生
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古井さんが、出版社の意向で40年にわたる小説家人生を語った。
作品にはエロスが必要と語り、1970年代から2009年までの経済状況から
社会情勢までを織り込みながら、古井氏の作品を振り返っている。
対談でもなく、独白でもなく面白いものになっている。