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忘却の河 (新潮文庫)

価格: ¥540
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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not 〈罪〉と〈罰〉 ,but 〈罪〉と〈愛〉、そして、…… ★★★★★
 プルーストが、どこかで、ある絵画を取り上げていた。その絵画は、境界が曖昧に描かれていた。海に浮かんでいるべき船の面影が、陸の建物にのり移り、陸にあるべき建物の描写が、海に浮かぶ船にのり移っている。
 というのは、私の曖昧な記憶による、いい加減な記述だけれど、福永氏は、本作において、これに似た描写をなしている。福永氏のそれは、過去と現在との〈さえ〉――この〈さえ〉には、〈境界〉という意味と〈罪障〉という意味とがある、と作中にある――が曖昧に描かれている。ということはつまり、過去に犯した〈さえ(罪障)〉と現在のそれとの〈さえ(境界)〉が曖昧に、というよりは、お互いがお互いを相食みながら、描写されている。
 罪の自覚のないところに、愛は存在しない、そんな言葉に出会った。これも、私の曖昧な記憶による、いい加減な記述だけれど、あるいは、と私は考えた。太宰は「人間失格」の主人公である葉蔵に、〈罪〉の対義語は〈罰〉ではないか、と結論めいたことを導き出させている。あるいは、これは、違うのではないのか、〈罪〉の対義語は、〈愛〉ではないのか。
  誰かを苦しめた、悲しませた、傷つけた、負の感情を抱かせた、自分はだめな人間だ、自分は汚い奴だ、そういった罪の意識を自覚できるかが、人を愛せるかどうかの〈さえ(境界)〉をなしているのではないだろうか。私は、人を愛することができないらしい。
 閑話休題。藤代の次女は、自分は藤代の子ではないのではないか、と疑念を抱いている。しかし、その疑念は的外れなのではないか。
 前田愛氏の説だったと思うが、文学作品において、〈二階〉(あるいは、これに類した空間)には、〈非現実〉の世界が広がっているのだという。芥川の「羅生門」や、太宰の「人間失格」にも、これはあらわれている、という指摘も目にした。目的地は、もう近い。
 「忘却の河」においては、藤代が間歇的に訪れては、過去を回想する空間として、アパートの〈二階〉が登場している。藤代の次女の部屋は、〈二階〉にある。父と娘、二人は空間を異にしてはいるものの、〈二階〉で時を過ごす、という習慣を共有しているのである。共通の習慣は、共通の嗜好のあらわれではないか? よって、私は、次女は藤代の実の子である、と考えている。
 附記。イエス・キリストは、人類が犯した〈罪〉をあがなうべく、十字架にかけられる。これは、究極の<愛>の行為である。<罪>と<愛>。<罪>は地上のもの、<愛>は天上のもの、<罪>は人のもの、<愛>は神のもの、福永氏が、そんなことを意識の<さえ>(閾)にのぼらせたかどうか、それは、私は知らない。しかし、これは、私のカンであるが、この作品を読み解く一つの鍵として、<さえ>という言葉が登場しているのではないか、と私は見ている。

 
忘却は死か ★★★★★
人気作家、池澤夏樹氏のご尊父にあたる作家。現代作家を中心に読む読者であっても、興味をそそられるところだが、そのストーリー、表現、構成において、完璧な調和。読後には、人間のはかなさのようなものが心にのこる。美しい一遍。
人生の意味を真摯に問うた傑作 ★★★★★
ある家族の物語。

悲痛。
テーマは愛、憎しみ、罪、贖い、魂の救済。

父と長女、
父と次女

この2関係が、それぞれの形で最後に和解に到達してくれたことで救われた気持ち。
この終わりでなかったら、居た堪れなくて読後感最悪だったかもしれない。

それにしても、果たして、人は救われることなどあるのだろうか。
名作は、草の花だけではない。 ★★★★★
福永武彦。偉大な作家である。
彼の作品をいろんな人に読んでもらいたい、
知ってもらいたいと、切に思う。
だが、彼の作品の数々が絶版の憂目にあっている。
現状は厳しい。
そんな中での「忘却の河」復刊。
名作は手元に置いておきたいものである。
本屋に並んでいて欲しいものである。
「死の島」の復刊も願う。
静かに圧巻 ★★★★★
帯には、『人生に二度読む本』とあった。かつて、この作品をタイムリーで読んだ世代の為に、再び文庫本として世に出たのならば、初めて読んだ私も出版社の良心や美意識をちょっとばかり感じました。ベストセラーのリストを見ては読みたくないかも、の連続。書店では一冊も手にする事無く帰宅する事も少なくない。ネット書店を通じて、気軽に手にしたこの一冊の余韻に浸っています。家族それぞれの秘めた胸の内をもしそれぞれが知っていたならば、ここに出てくる家庭の様子も違っていたかも知れないのかな?けれども、多くを相手に語ることはないけれども、心の中での語りの部分、その深さに愛情を感じました。空気を読めと実生活の中で言われても、何でよ〜!と思ってしまいますが、逆に語らない、その部分を慮っていく事も大事なんだなと思いました。