日常の微小な変遷が物語の主軸
★★★★☆
読み終えた後しばらく考え、末尾にある鷲田清一氏の解説を読んで、初めて帰結をみた気がしました。小説というよりはエッセイ、哲学書にも似た感覚を覚えます。もし物語の起伏や爽快な結末を求め読んだとしたら、見事に肩透かしを食らうでしょう。実際私がそうでした。しかしながら、それはつまらなかったからではなく、この小説を読む姿勢が幾分かずれていた為です。新幹線の中で斜め読みをするような暴挙はせずに、もう少しだけ腰を据えて心情披瀝を汲み取り、些細な日常の描写を感じ取りながら読んでいれば、もっと面白い作品だったはずです。
駄文が過ぎましたが、この本自体は読者を選ぶような難解なものではありません。物語は、係留されている船の上での日常を繊細に切り取り、別物語も織り交ぜながら進んでいきます。主人公をはじめとする登場人物も躍動はなく、あくまで船のゆらめきに則しているようです。
最後に、私は作中の空を曇天に感じましたが、皆さんはどんな空を想像されるのか楽しみです。
流れにたゆたう船のように
★★★★★
川に係留された船は場所を移動しないけれど、ひとときとして留まることなく、動き続ける。そのたゆたいがそのまま文章になったような小説。読者はどこにも連れていかれないかもしれないけれど、しかしそこは変化し続ける。
欠如する運動
★★★★☆
膨大なデータベースと人工頭脳を持ったロボットは、
人と同じく生きることができると考えていた。
アトムやドラえもんのようなロボットが生まれると。
だが、膨大なデータベースを処理するため、ロボットは数十分かけてたった1歩歩いただけだった。
欠如したもののために人は動き続ける。
彷徨い続ける。すでに手にした欠如のために人は生きているのではないだろうか。
強い弱さのために、人は動き続け、彷徨い続けている。
トライアスロンの表現は、思わず「わー」と声を上げてしまいました。
浮ついた気持ちの残滓だけをスタイリッシュに
★★☆☆☆
浮ついた気持ちの残滓だけをスタイリッシュにしたためた名文家の書籍。事物にも人間にも、もはや熱烈にあたろうという気持ちから戦略的に百歩退いて駄文をしたため、それを名調子の文章の器に盛るだけの、読後感に、人間と事物について何も新しいものをもたらしえない、退嬰的以下の駄文。この人が現代を代表する日本の作家のひとりでいられるということは、実にいやな時代に生まれてしまったものだという思いが禁じ得ない。
深い余韻
★★★★★
読み終えた後、いつまでも余韻が残った。最近はいやに後ろめたい内容の本や前向きすぎる本が乱立しているが、本書はそれらのいずれかにも属さない。それこそ河岸に浮かび停滞する船のように。ただそこにとどまるということにも意味はあるのだと知った。今も時々拾い読みをしている。