偉大なる観察者
★★★★★
私の性の目覚めとは全く違い、読んでいて鴎外の余りの淡泊さに、ステーキを食べたいのにお茶漬けを食べるような心境で読み込みました。 鴎外は一体、中学生くらいの頃の、あの狂おしい、誰もが経験し、成年して振り返れば懐かしく思う思春の衝動を真に体験したことがあるのかしらん?とさえ思って読みました。 でも、不満は無いのです。人類の歴史上、性というものを、かくまで理知的に屈服させたかたちで作品化してしまった文学者は他にいないのでは無いでしょうか。此処には超人的な「観察者」がいます。プラス怜悧で明晰な文体とあいまって鴎外にしか書けない、成功作・失敗作なんていうことを超えた作品と思います。性の問題を正面に据えた芸術の中でも、その超アポロ的な性格の故に世界文学上の一記念碑といえるでしょう。 極限の性文学です。これに不満な方は、マルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」か三島由紀夫の「憂国」を読みましょう。
これはニヤニヤしながら読むべき本。
★★★★☆
初めて読んだ時には何が何やら分からなかったが、
今改めて読むと発禁になったことにも頷ける。
昔の青年らもきっとニヤニヤしながらこの書を読んだのであろう。
自慰について、DT喪失について、男色について、女の子の股間について、吉原について、
極めてマジメに格調高く、多少の衒学を交えながら描かれている。
鴎外先生がDT喪失の質を素人と玄人とで分けなかったのには地味に癒された。
巻末解説でも触れられているが、児島がきんとんを食うくだりは簡潔ながら美しい。
加えて個人的に鰐口の女性観が説明されるくだりを名文として推したい。
おおらかな性
★★★★☆
明治42年発表の掲載雑誌「昴」は発禁になったというヰタ・セクスアリス(性的生活・ラテ
ン語)であるが、こんにち読んでみると懐かしさのようなものが先にたってしまい性的な内容
はその当時ほどのインパクトはない。口語体ではあるけれど文章が今とはよほど違う感じがす
る。「お父様が東京へ連れて出て下すった。お母様は跡に残ってお出(いで)なすった。」・・
硬派・軟派の話、寄宿舎での話は今では犯罪としか考えられないがその当時はそのようなこと
には今よりずっとおおらかだったのであろう。主人公(鴎外)が色黒の醜男で無骨な田舎者とい
うのが太宰の自伝的小説「晩年」と似ているのがなんだか可笑しかった。
この文庫は文字表記を現代的に改めているという。旧仮名づかいを現代仮名づかいに、読み
づらい語句をひらがなに(恰も→あたかも、併し→しかし、流石→さすが等々。)
この方針はこの作品に限らないようだが、今はパソコンの浸透のおかげで難読漢字も皆読める
ようになっているのだからなるべく原文に近い形で出版して欲しい。極端な宛て字であっても
ルビをふればよいのではなかろうか。いっそ旧仮名づかいでもよいのではとも思ったり。
明治の問題作
★★★★☆
『ヰタ・セクスアリス』です。明治の文豪森鴎外の作品ですが、当時発売禁止処分にされてしまった問題作です。
でも現代の観点からすると、淡々とした語り口で別に問題はありません。過激な性描写もありませんので、R指定する必要はありません。むしろ、主人公が若い頃の森鴎外の分身なので、青春モノとしていいのではないでしょうか。
当時の発禁が今では淡泊に感じるのですから、周囲の価値観には相違があるのでしょう。でも時代の違いは関係なく、若者は青春の中で常に性と何らかの形で向き合うことになるのでしょうから、若き鴎外がどう考え感じていたのかについて触れるということで。
小説として、ストーリーの起伏というものについては、さほど求められません。主人公の内面描写がメインです。鴎外が生きた時代に触れることができる、という意味でも有意義ではあります。
告白日記
★★★★★
主人公「金井」のモデルは鴎外自身だ。
淡々とした文体で性描写がかかれている。黙々と事実に接近するように書かれている。
・・・吉原での童貞喪失シーンは、詳細に書かれているが、いやらしさはない。静かな内面吐露だ。
「全ての芸術は性欲の発現である」
主人公は、その言葉が本当なら、自分は人間として失格なのではないかと自身の性生活を書き記して、性が人生にどれほどの影響を与えるのかを分析する。
当時の政府には、歓迎されない内容だったらしく発禁処分になった作品だ。 現代では、むしろ淡白で問題ないだろうが・・・
時代は変わるということなのか。